この2004年12月という時に、日本の医療が今後数十年間にわたって大きな変化を遂げるかどうかの瀬戸際に立っている、ということを、どのくらいの人達が理解しているだろうか。
昔々、故武見太郎日本医師会長が「保険医総辞退」という戦術で「医療の社会主義化」に抵抗したことはご存知の方も多いだろうと思う。かつて昭和30年代の日本では、国民皆保険を実施し、医療も国家統制によって国策として歯車の中に組み入れ、日本の医療内容を官僚統制したいというのが国家の意思であった。今でもその考えは変わっていないはずだ。それに対して、武見会長は、資本主義社会の仕組みの中での「開業医師像」を確立することを目指した。それは「赤ひげ」医療でもあった。代官や金持ちからはたくさんの診療費をもらい、貧乏人からは野菜でも魚でも診てあげる、という医療のあり方は、江戸時代からそんなに変っていなかった。医師と患者関係は大きく医師に傾いていた時代背景である。だから、日本の医師は保険診療という仕組みによって「官僚に飼いならされた犬」になってはいけない、と常に言い続けた。ご本人は保険医療の外で「自由診療」を最後までされていたようで、武見先生の診察を受けるためには数万円が必要だったようだ。もちろん、武見太郎という人は政財界に多くの知人がいて、官僚ごときに首を抑えられるような人ではなかった。日本が敗戦から立ち上がり、高度成長を遂げる時には、医療界も政財界と似たような強大なパワーを持っていたのは確かで、個々の医師の社会的地位も今では信じられないくらい高かった。日本医師会が「政治的圧力団体」などと言われていたのもこの頃のことである。少しぐらいの交通違反は警察署幹部と懇意である地域医師会長や理事ならば簡単に揉み消せた時代である。そんな時代を過ごした老医師たちは、今でもその幻想を追っている。
武見先生が亡くなってからは、他の日本のシステムと同様に地盤沈下は見る影もなく落ちるところまで落ちているのだが、現実に直面できる人は少ないようだ。老先生達は、「保険診療に含まれないものは、患者に負担してもらって混合診療にすればいい」という、今でいう介護保険の「上乗せ横出し」と同じ感覚で「混合診療」を考えているふしがある。つまり、自由診療が大元にあって、「我々は国の為にと思って、かつて渋々保険医療を許可してやったのだから、保険で出来ない分を自由診療させるのは当然の権利だ」と考えているようなのだ。もちろん、当時は株式会社が医療機関を経営しようなどとは考えもしないし、国家予算に医療が占める割合は少なく、医療界に経済界が介入するなどということは、その高度な専門性と閉鎖性から不可能であった。
しかし、世界は急速に変化し、日本も同じように変わったのだ。医療の専門性は崩されていき、情報公開によって医療知識も大きく開放された。人々の医学的な知識は以前とは比較にならないほど高くなった。バブルがはじけて、経済界も自分達の儲け先がなくなってきたから、大人しい医療界の「上前を跳ねる」ことを思いついた。アメリカの財界もそのお零れに預かろう、というのが今の「混合診療」論議である。それ以前の時代の「混合診療」論議とは本質的に異なるのだ。
さて、岐路をどう曲がるのか、その結果を踏まえてまた書いてみたい。 |