ドクタープロフィール
ドクター神津
神津院長は昭和52年に日本大学医学部を卒業後、同大学第一内科に入局され、その後、神経学教室が新設されると同時に同教室へ移られました。医局長、病棟医長、教育医長を長年勤められ、昭和63年、アメリカのハーネマン大学およびルイジアナ州立大学へ留学。帰国後、特定医療法人佐々木病院(内科部長)を経て、平成5年に神津内科クリニックを開業された。神津院長の活動は多岐にわたり、その動向は常に注目されている。
2005年3月号 -あらためて見えてきた在宅医療のこと- backnumberへ
 二月二十日の日曜日に、日本医師会・日医総研が行っている通信教育のスクーリングがあった。私が昨年日医総研から出版した「在宅医療実践論」を読んで頂き、模擬テストをして頂き、この日に実際の講義となったわけだ。前日は金沢に行っていたので、朝早く小松空港から羽田に着いて、タクシーで日医会館に掛け付けた。そんなわけで疲れてはいたのだが、三百名近くの受講者が熱心に耳目を傾けて聴講頂いたことに、大変感銘を受けた。事前に頂いたご意見・ご質問、講義当日終了直後に頂いたもの、それらの中には失敗例や困難事例も多く寄せられていて、各地の開業医の皆さんが一つ一つ熱心に地域医療・在宅医療に取り組んだ結果であり、これも大変参考になった。スライドでは、私と日本プライマリ・ケア学会会長の小松真先生が監修した「実践!在宅医療」のホームページもお示ししたので、お家に帰ってインターネットを見て頂ければ、さらに在宅医療のスキルが上がることは間違いないと思う。
さて、その講演の中で、今年秋公開の映画「仰げば尊し」について少しだけ触れさせて頂いた。この映画は、肺癌に侵された小学校教諭の父親のターミナルケアを、在宅医療・在宅ケアで行うという設定で撮影が進められている。全国在宅医療推進連絡協議会を窓口として私が「医学監修」を行ったのだが、IVHのパックや輸液ポンプ、モルヒネの使用、酸素濃縮器、それに褥瘡防止マットなど、まるで在宅患者と家庭環境そのものが、東映撮影所のスタジオ6に再現されていて驚かされた。主役のテリー・伊藤さん、薬師丸ひろ子さん、加藤武さんの存在感、表現力も大変なものだが、市川準監督を頂点とした「市川組」の組織的なチームワークにも大変感心した。音声、撮影、大道具・小道具、美術、メイク、など、総勢50人近くが、寒くてホコリッポイ劣悪な環境の下で映画作りをしていることを初めて知った。我々は毎日がブッツケ本番で、当然取り返しのきかない医療行為を毎回積み重ねているわけだが、映画は何回かのテストを経て、本番となる。まるで人生を何回もやり直している感じがして奇妙な錯覚を覚えた。しかし、「はい、本番いきますよ、はい、・・・・・スタート!」の監督の声を聞くと、今までそこここで聞こえていたシワブキや咳き込みがぴたりと聞こえなくなる。一つのシーンが終わるまでの張り詰めた空気。この緊張感がスタッフ全員の心を一つにする。映画の撮影現場というのはやはり独特のもので、ある意味感動的だった。
ちょっと横道にずれたが、もちろんここでは映画制作について詳細に述べるつもりはない。この「仰げば尊し」という映画制作を通して指摘したいことは、映画の題材になるということが、それは即ちすでに「社会現象化」している、という事実である。在宅医療も、在宅末期医療も、在宅緩和医療も、在宅での看取りも、すべて社会が受け入れ始めたのだ。
そこで問題になるのは我々医師たちの内なる環境である。実は、日本の社会の中でも、医療関係者は社会現象に大変疎い人たちなのである。日本医師会もご多分に漏れず、在宅医療に関しては大変腰が重い。新しいコンセプトを、古い頭で理解しようとするので、理解不能となってしまうようだ。そのために、分からぬことは放置するという態度が見えてしまう。これでは日本の医療をリードしていけるわけがない。是非、私の書いた「在宅医療実践論」を読み、「実践!在宅医療」のホームページを見ていただき、さらに秋には出来上がった映画を見て、日本の医療環境がどうあるべきか、「ゼニカネ」「モウカリマッカ」の金勘定以外に、大切な「医の心」をどう表現したらいいかを真剣に考えてもらいたい。そして、その問いに対する答えは、「在宅医療の実践と普及」なのだ、という正解を早く見つけてもらいたいものだ。

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