ドクタープロフィール
ドクター神津
神津院長は昭和52年に日本大学医学部を卒業後、同大学第一内科に入局され、その後、神経学教室が新設されると同時に同教室へ移られました。医局長、病棟医長、教育医長を長年勤められ、昭和63年、アメリカのハーネマン大学およびルイジアナ州立大学へ留学。帰国後、特定医療法人佐々木病院(内科部長)を経て、平成5年に神津内科クリニックを開業された。神津院長の活動は多岐にわたり、その動向は常に注目されている。
2005年8月号  -プライマリ・ケア臨床研修奮戦記 そのI-
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 さて、私がした下準備について少し話しておきたい。研修医を受け入れる一か月ほど前に、事前に世田谷区若手医師の会の仲間に「神津内科クリニックで新医師臨床研修を行いますが、研修先として受け入れて下さる先生方はいらっしゃいますか?」とFAXをしておいたので、皮膚科、整形外科、血管外科、消化器内科の先生方、それにattending doctor制度を導入している中病院、透析やbuck up bedをお願いしている小病院でも、研修医の見学を半日、あるいは一日使って実施して頂く事が可能となった。神津内科クリニックがいつも密接に行動を共にしている調剤薬局では、調剤薬局実習を受け入れてくれることになった。医師会と、世田谷区保健センターも、その役割を説明し、施設内部の見学を実施してくれるということになったので、神津内科クリニックにおける地域医療研修は、より立体感を持ったものとなったことは間違いない。こうした下準備をしたのは、「地域医療」の「地域」という言葉の実際の意味を、実体験することが、研修医にとってとても大切なことと考えたからである。
以前にも書いたが、私が定義する「地域医療」とは、「地域に根ざした医療」のことであり、地域とは「時間的・空間的な事物を共有し、さらに文化的・歴史的な記憶や生活態度を共有する場所」を指している。「医療」の定義はいろいろあるが、私は「医師を中心として疾病を治療し、健康を維持・促進し、さらに、新たな疾病を予防するために行われる、社会科学的な活動を総じていう」ものと考えている。
 英語圏では、primary careの概念として「accessibility, comprehensiveness,coordination, continuity, accountability(日本語では近接性、包括性、連携、継続性、責任)」が重要であるといわれ、同じく地域社会の中でしっかりと根付いた医療サービスを基本としている。私がここ世田谷で行っている医療を、じっくりと見てもらえば、研修医達にその意味を理解してもらえると思う。
  そんなわけで、準備万端整えて研修医を待っていた。初日の月曜日は、8時20分に医局集合の予定とした。いつもは、外来に出るのが9時少し過ぎなので、起きるのは7時半頃なのだが、遅刻をしてはいけないと、その日の朝は6時に起きた。早めに支度をして、いそいそと医局へ向かう。10分ほどの徒歩の後、医局の階段を上ると、もう研修医たちはドアの前で待っていた。一人はN先生で、スポーツ刈りの頭としっかりとした体躯を持つ好青年。もう一人はO先生で、ボーイッシュで中性的な魅力のある女医さんだった。まず二人を、処置室と診察室の二つの係りに分けて、一人ずつ処置手技と患者診察手技を学んでもらうこととした。
 1961年のThe New England Journal of Medicineに掲載されたKerr L White博士の「The Ecology of Medical Care」によれば、1000人のコミュニティー住民のうち、一ヶ月のうちに体調不良を訴える人が750人いるとすると、そのうちの250人が地域の医師を受診し、大学病院に入院しなければならない人はたった1人である、という。その後、京都大学の福井教授が日本の現状を2003年に報告した際には、日本の場合1000人に6人が大学病院の外来を受診するとされた。どちらにしても、大学病院で教育される場合、千分の一という特殊な患者しか見る事が出来ないという事実があるのだ。その上、専門領域の医師に至っては、その専門とする疾患以外はほとんど診たことがない、ということになるから、地域の中で有意義な診療行為が出来るわけがない。こうした、特殊性に気付き、地域医療の裾野の広さ、患者の視点に立って展開する医療の必要性を学んでもらうことが目的である。

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