古武術を医療看介護に生かす
今、マイブームになっているものが「古武術」です。NHK教育テレビで武道家の甲野義紀氏を見た方がいるかもしれませんが、甲野氏が紹介する古武術には大変魅力があるのです。しかし、最初からその面白さ、奥深さに目覚めていたわけではありませんでした。
そのテレビでも、いつもの和服姿で淡々と話されていたのを覚えていたのですが、日常診療の多忙な中でその記憶も薄れていました。若い医師向けに発行されている、週間医学界新聞(医学書院)の介護のコーナーにも、この古武術の体さばきを生かした介護技術を紹介していましたが、今ひとつ実感が湧きませんでした。
そんなふうに、漠然とした興味を抱きながら頭の片隅に甲野氏がいたのですが、ある日の新聞に、荻野アンナさんの「古武術で毎日がラクラク!」(祥伝社刊)という本の紹介が載っていて、手をグルグルと前に回すと立ちやすい、など不思議な技に驚いた、と書かれてあったのに、とうとう私の脳がピンと反応したようです。
インターネットのアマゾンドットコムで甲野義紀氏の書籍を8冊ほど買い込み、正月にはそのDVDを鑑賞し、著書を読み漁りました。
その結果、甲野義紀氏は哲学者である、という結論に至りました。しかし、従来の頭だけで考える哲学者でなく、人間は何のために生きるのか、を自ら体感し、自らの立てた法理を実践するために「古武術」を選んだ、「体感と実践の哲学者」なのだということです。このように考える人はめずらしいですね。元々恥ずかしがりやな子供であったという甲野氏が、大学の畜産科で人が生きるために食べる家畜の命の不条理に悩み、自然食や東洋医学を学ぶことになるのですが、さらに「人の運命は、はたして決まっているのかいないのか」という命題を解くために合気道に身を置き、さらにそこから離れ、日本や中国の古文書を紐解いて多くの武術を学び、実践し、最後に「人間の運命は完璧に決まっていて同時に自由でもある」という答えを得るのです。
最初は、甲野氏が紹介する古武術のもつ技術的な側面に興味が湧きました。「ナンバ歩き」、「身体を割る」、「足裏垂直離陸」、「井桁崩し」など、日本人古来の独特の体感覚を知ることは、神経内科医にとって大変興味深いものでした。しかし、そのうちに甲野氏の求道的な考えに惹かれるようになりました。また、社会の歪みにも敏感で、権威や常識に囚われず、「科学的、即ち善」とする現代社会の既成概念からも自由な心を持つことに感心しました。
「科学、科学と言いますが良く考えると科学としての研究を始める前の段階の論理的な部分がおかしいことが多いんですよ」
「証明されていないただの感情論が、科学的な意見に擦り替えられているんで。これは本当に大きな問題です。外務省の汚職よりも、ずっと大きな問題ですよ」
「科学者の場合は自分の主張こそ正しいと信じて、そういうものを悪いと思っていないんですから困ります。」
と、スポーツジャーナリストの近藤隆夫氏との対談で辛辣に述べています。
介護についても、
「この間、介護の理学療法とか車椅子の人を起こして移動させたりする現場で働いている人たちを対象とした講習会を行ったのですが、体の使い方が、本当に工夫されていないですね。私が、その場で30秒で気付いたことを何年も気付いていないのですから。だから専門家というのはいかに固定観念に縛られているかということですよ。」
と、述べていますから、きっと多くの間違った考えが、我々の医療・介護の教育や理論の中に内包されているに違いありません(MCプレス『古の武術を知れば動きが変わるカラダが変わる』)。
ある意味、身体の使い方を研究している武術家というのは、医療・介護に関わる我々と同じfieldにいるのでしょう。今後は、その技術を活かす方向に進むべきだと考えます。
甲野氏の探求はまだまだ終わりません。少しずつ進歩し、変革していくようです。昔は、その体術というものを記録する術がなかったわけですが、最近はこうしてDVDに残る解説を見たり聞いたりすることが出来るのですから、我々凡人にとっても幸せな時代だといえます。しかし、その悟りを実体験することは無理でしょう。仏陀にも似た、甲野氏の言葉を聞きながら、東洋の思想の中に西洋のものとは違った安寧を感ずるのは私だけではないと思います。
「人間にとって、自然とは何なのか、自分が今、この世に存在している意味を言葉ではなく体そのもので実感したいということです」(新曜社『スプリット』)