ドクタープロフィール
ドクター神津
神津院長は昭和52年に日本大学医学部を卒業後、同大学第一内科に入局され、その後、神経学教室が新設されると同時に同教室へ移られました。医局長、病棟医長、教育医長を長年勤められ、昭和63年、アメリカのハーネマン大学およびルイジアナ州立大学へ留学。帰国後、特定医療法人佐々木病院(内科部長)を経て、平成5年に神津内科クリニックを開業された。神津院長の活動は多岐にわたり、その動向は常に注目されている。
2007年3月号  歯科医も在宅医療に前向きだということ
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 歯科医も在宅医療に前向きだということ

 先日の2月18日に「日本歯科医師会での在宅医療推進のための医科歯科連携ワークショップ」に参加して来た。
このワークショップは、在宅医療の高まりの中で、今後の歯科医療に在宅訪問診療をどのように取り入れたらよいか、日本歯科医師会が大きな危機感をもって開催したものだ。
 ディスカッションの題目には、「在宅歯科診療を進めるための必要事項」「末期治療で口腔ケアが必要なのか」があり、最後に「医科・歯科連携を進めるうえで医師は何が出来るか、歯科医師は何が出来るか」という大きな枠組みを提示するミーティングが行われた。日本プライマリ・ケア学会が共催し、医師も歯科医師もいる会員の中から、在宅医療の経験が豊富で各地のプライマリ・ケアを実践し、また研究している方々を選んで参加していただいたので、かなり濃密で的を射た活発な議論が展開され、大変実りの多いワークショップになった。日本歯科医師会の大久保会長も静岡から駆けつけ、日本プライマリ・ケア学会会長の小松先生もワークショップに参加した。これでこのワークショップの重要さが分かる。

 最近では、在宅医療がマスコミでも大きく取り上げられるようになり、国民の間にもその認識が次第に広がってきている。先日訪問診療に伺った患家で、93歳の患者さんの容態が悪いために九州から駆けつけた70歳の娘さんが、「昔は先生がこうして往診してくださったんです。思い出します。懐かしいですね。」と笑顔で話してくれた。
 往診をする医師が少なくなったのは、モータリゼーションが進んで、患者が病院に直接出向けるようになったからだ、と日本プライマリ・ケア学会の小松会長がいつも話している。それに加えて、新たに設備投資をする病院に資金が集まり、きれいな建物と高機能な病院が多くなり、病院へ病院へと国民の「病院思考」が強くなった。
 逆に、地域医療を担当する医師が老齢化し、新たな設備投資もないままに老朽化していく古い診療所には魅力がなくなった。国策として往診料の点数設定も低められ、従来から行われてきた、「午前中は外来で午後は往診」という診療スタイルはすっかり影をひそめた。すでに減価償却し、借金も払い終わって、子供達を育て上げた先生方は、海外旅行やゴルフ三昧に明け暮れた。子供を診療するのは、「内科・小児科・レントゲン科」というプライマリ・ケアを支える開業医の仕事だった。特に小児科専門医という訳ではなかったが、地域の住民は信頼してかかりつけていた。それが、病院思考と専門医思考の中から、若い母親達は「小児科専門医」でないとかかりつけないようになった。何でも診る、という医師が、それでは嫌だという国民にそっぽを向かれたわけだ。それが、最近では、また何でも診て欲しい、と国民が望み始めた。国民感情というのは浮気なものだ。というよりは、必ず振り子は右に触れれば次は左に触れることになっているから、また、本来の考え方に戻ってきたというのが正しいのかもしれない。

 

 とにかく、そんなわけで「在宅療養支援診療所」という概念が出てきた。厚生労働省の立案者によれば、昭和40年代の地域医療、すなわちかかりつけの先生が午前中は外来診療をして、午後は10~20人の患者さんを往診する、といった医療を取り戻したいというのだ。私の父も開業医だったから、夜中に起こされて患家へ往診する姿を良く覚えている。しかし、救急医療はまだ確立されておらず、前述したように、日本の社会構造がそれを必要としていた。さらに、一般患者と医師との収入の格差、地位の格差も大変なものであったから、弱者救済の意味からも地域開業医は頑張ったのだ。後から聞くと、父はその往診が「苦痛であった」し、「患者を診るのが嫌だった」とも話していた。祖父は銀行家であったし、医師の家庭で育ったわけではなかったから、画家や建築家になる予定だった。
 旧制高校を卒業して医学部へ行った理由は、戦争に忌避的な友人から誘われて、というものだったから、我々とは患者さんに対する思い入れは違っていたと思う。そうした地域開業医の花道というのが、無床診療所から有床診療所、有床診療所から小病院、小病院から大病院、大病院から医科大学を作る、というものだったのだ。こうして新設医科大学のいくつかが出来たことはあまり知られていないが、それくらいの財力と資産、社会的地位と名誉があったのだ。今はその片鱗もない。
 ということで、歴史の針を元に戻すことは出来ないのだが、若い先生方には、また違ったモチベーションが生まれているようだ。それは、むしろ病院医療の問題点が大きくなったこと、勤務医の社会環境が大きく変わってきたことなどが、地域の開業医、そして在宅医療へと向かわせているのだろう。

 さすがに理解力のある日本医師会は、在宅医療など目もくれなかった十数年前と様変わりして、すっかり推進派に転向した。歯科医師会も同様のようだ。歯科というのは切ったり貼ったり植え付けたりと、外科系医療を行っていると解釈される。患者が座る椅子は手術台であると考えれば、なるほどと納得がいく。手術台を持ち出すことは出来ないから、患者は歯科医療機関に必ず「来る」ものだと考えていたようだ。しかし、日本医師会が本格的に「在宅訪問診療」を推進していく方向に向いた姿を見て、21世紀の歯科医療もクリニックから出て行って、患者を獲得していく必要があると気づいたのだと思う。高度高齢化社会となって、高齢患者が来られなくなったら、当然歯科医師が訪問診療を行う必要がある。この「気づき」は大変重要なものであると思う。先ほど来られたアルツハイマー型認知症の方が、歯科医院に通院出来ないので「訪問歯科診療をお願いして虫歯を全部治してもらいました」と話していたから、世田谷区でもそれほど珍しい診療形態ではもうないらしい。
  特に、在宅医療において、口腔ケアや歯科診療による義歯の調整や噛み合わせ治療などは、高齢者の生存能力を高めることが分かっており、在宅チーム医療における貴重なteammateであることが認識されている。以下の図は、長崎県の在宅医療シーンに活力を与えている「長崎在宅Dr.ネット」のネットワーク構築を示しているが、歯科医が30人以上このネットワークに参加して、実際の患者診療に当たっているということであるから、今後は各地でも同様の取り組みが期待される。医師も歯科医師も、共通の理解の下に在宅医療が展開されれば、こんなに力強いことはない。今後の10年に期待したいものだ。

(病院新時代26、「『長崎在宅Dr.ネット』を中心とする地域の医療・介護連携の実際」)

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