ドクタープロフィール
ドクター神津
神津院長は昭和52年に日本大学医学部を卒業後、同大学第一内科に入局され、その後、神経学教室が新設されると同時に同教室へ移られました。医局長、病棟医長、教育医長を長年勤められ、昭和63年、アメリカのハーネマン大学およびルイジアナ州立大学へ留学。帰国後、特定医療法人佐々木病院(内科部長)を経て、平成5年に神津内科クリニックを開業された。神津院長の活動は多岐にわたり、その動向は常に注目されている。
2007年5月号  いま、日本の老夫婦が危ない!
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 いま、日本の老夫婦が危ない!

 先日の往診の最中に、広尾病院の救急救命センターから連絡が入った。患者さんの病状に関する照会である。どうやら、クリニックの患者さんが救急搬送されたらしい。クリニックのスタッフから、この電話番号に至急連絡が欲しい、とのことで携帯電話に連絡があったので、早速電話してみた。

「神津内科クリニックの神津です。内線の○○番の○○先生をお願いします」
交換台 「少々お待ちください」
△○医師 「広尾病院の救急救命センターの○○です。お忙しいところすみません」
「先ほどクリニックのスタッフから連絡がありました。○○さんのことですね?」
△○医師 「はい」
「今往診先でカルテがないので詳細についてはお答えできないのですが、この方はパーキンソン病で、10年ほどこちらにかかりつけていました。特に大きな変化はなかったのですが、dopa induced dyskinesia(ドーパミン薬を服用することによって不随意運動としてのジスキネジア=クネクネする動きが生ずる)が強く、on-off現象(電気のスイッチを入れたり切ったりするように、急に動けなくなったり、急に動くようになったりする現象)が日に何回もある状態でした」
△○医師 「なるほど」
「それで、ご本人はどんな状態ですか?」
△○医師 「意識はあるのですが、二、三日飲食出来ないで経過していたらしく、脱水症状がありますが、バイタル(生命に直結する症状、血圧や呼吸など)は問題ないようです。薬も飲んでいなかったのでしょう、まったく動けない状況です」
「ご主人がケアをしていらしたんですよね?」
△○医師 「そのご主人が、亡くなっていたんです」
「えっ、亡くなったのですか!?」
△○医師 「はい。しばらく顔を見ないので、息子さんが見に行ったところ、ご主人が亡くなっていたところを発見したということでした。死後硬直が始まっていたようですから、大分経っていたのだと思います。奥さんは、offで動けなかったのでしょうね」
「それは大変なことになっていましたね。今の状態では飲み込みも出来難いでしょうから、点滴静注用のドーパミン製剤を使って下さい。そうすれば、少し動けるようになりますから」
△○医師 「分かりました」
「どうぞよろしくお願いいたします」

 

 こうして、この件の一部始終が理解できたが、この事実を通して、今の日本の社会が抱えている、高度高齢化・少子化・核家族化、という問題の大きさを考えざるを得なかった。
  実は、医学的にいうと、高度高齢化社会とは、病気の日本人が増える、ということとイコールなのだ。特に問題なのは、パーキンソン病やアルツハイマー型老年痴呆(認知症)などの、脳の変性疾患が増えることと、脳梗塞、脳出血、脳動脈硬化症、複雑型(多発)脳梗塞、脳血管性痴呆(認知症)などが増えることだ。これらの病気に対しては、薬物治療も大切だが、最終的に最も大切なのは「ケア」だ。ケア、といっても、医療スタッフによるケア、看護師や介護ヘルパーによるケアを指すだけではない。むしろ、こうしたケアはマンパワーとしての限界がある。
  重要なのは、誰でもが基本的に受けられるはずの、社会ケアとしての福祉ケア、コミュニティケア、それに家族ケアだ。おそらく、こうしたケアが必要度としては80%以上であり、それを補完するものとして、医療スタッフによるケアが20%程度存在するのだろう。日本の国は、福祉国家としてのきちんとした計画を立てる時に、この社会ケアが十分に行き届くような予算配分をし、行政計画を立てなければならない。
  つまり、老夫婦が、この話のような悲劇を繰り返さないようにしなければならない。

 核家族化させたのは、ある意味で「公団住宅や社宅」といった公共事業としての「箱もの建設事業」を国が奨励したからである。この箱には、日本の伝統的な社会安定機構としての「家族」を入れることが出来なかった。それが50年経って、社会を不安定にし、家族ケア、コミュニティケアを困難にしたのだ。家族の中に包含されていた「知識と伝承」が途切れたために、若い夫婦に子育ての不安を駆り立てることになった。人を傷つけてはならない、嘘をついてはならない、という基本的な人としてのやさしさや信義を育むことが出来なくなった。
  大量消費を進めたのは、国策である。産業を復興させ、経済を活性化させる。そのために、ものを大切にする、もったいない、という日本人の心を捨てさせた。ものを捨てなければ、日本のような狭い国ではものを買えない。どんどんものを捨てる社会になった。子供の教育にはお金も時間も労力もかかる。しかし、それが楽しみであり、子供の成長が家族の喜びであった。
  その子供が、また家族を支えてくれるという伝統と文化があった。それが、自分の、今の生活水準を維持したいがために、若い夫婦は子供を産み育てなくなった。この傾向は世界共通である。生活水準の低い発展途上国では多産多死である。かつて日本がそうだった。だが、30歳の夫婦も、50年後には80歳だ。病気にならないわけがない。そして、その内の何人がこのお話に出てくる老夫婦のような悲劇を迎えるのだろうか。
  今ここで、リスクマネイジメントをしなければ、日本はとんでもない「姥捨て山国家」になるのではないかと私は心配している。

 これはもう一つの家族の例。
  パーキンソン病(ヤールⅣ度)の80歳の女性。かろうじて支えられて歩いている。いつもは夫が付いて来るのだが、ある時、息子さんが付いて来るようになった。どうしたのかと聞くと、最近夫が物忘れがひどくなり、病院へ行って見てもらったらアルツハイマー型老年痴呆(認知症)だと診断されたというのだ。

息子 「どうも父が薬をきちんと飲ませていないらしいんです」
「一緒に住んでいるのではないんですか?」
息子 「ええ。離れているので、分からないんですよね」
「お薬がきちんと飲めないと、動きが悪くなりますから」
息子 「いっているんですけれど、朝飲ますのを忘れたり……」
「そろそろ、施設に入所する必要もありますね」
息子 「ええ。私の方では、どちらも一人にしておけないので、二人一緒に入れたいのですが、何しろ父の方が頑固で、まだ家で看れるっていうんですよ。実際には出来ていないんですけれど」
「なかなか難しいですね。もう少し進行して看られなくなったら考えますか」
息子 「その時には、入所の診断書など、よろしくお願いします」
「わかりました」

 もう一度注意を喚起しておきたいが、この悲劇は、日本の国が、日本の政府が作り上げたものだということだ。そして、その恩恵に預かった大企業や金持ち連中が作り上げたものでもある。そして、皮肉なものだが、その被害は日本の国民すべてに平等に降りかかっている。医師の家族でも弁護士の家族でも社長でも庶民でも。
  今こそ、日本の社会のコミュニティーを再編し、50年後の日本人が不幸にならないように改めなければならない。そのために、郊外には自然を取り戻すための環境保全型公共工事事業を、都市にはコミュニティケアが可能な街づくり公共工事事業を興して、国の予算と民間の資金を投入すべきである。また、家族ケアが可能なように、二世帯住宅、三世帯住宅の新築あるいは改築にゼロ金利で融資をする、あるいは補助金を出すべきだ。これからの都市計画では、一世帯住宅は住宅税を三倍にし、二世帯住宅は税金の半額控除、三世帯は住宅税をゼロにする、などの優遇税制を導入する。特に、80歳以上の親と同居してケアを行なっている家族には、今の介護保険の二割増しの金額を現金で給付する。パーキンソン病、アルツハイマー型痴呆(認知症)の親を同居でケアする家族には、同様の現金給付に加えて、どこでも駐車が可能な運転免許(プラチナライセンス)を与える。こうした優遇策によって、日本の国は変われるのだと思う。
  しかし、それが出来なければ、このお話は、これから日本全国に起きる悲劇の序章となるかもしれない。

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