ドクタープロフィール
ドクター神津
神津院長は昭和52年に日本大学医学部を卒業後、同大学第一内科に入局され、その後、神経学教室が新設されると同時に同教室へ移られました。医局長、病棟医長、教育医長を長年勤められ、昭和63年、アメリカのハーネマン大学およびルイジアナ州立大学へ留学。帰国後、特定医療法人佐々木病院(内科部長)を経て、平成5年に神津内科クリニックを開業された。神津院長の活動は多岐にわたり、その動向は常に注目されている。
2007年8月号 「オープンクリニック」
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 「オープンクリニック」

 世田谷区若手医師の会では、もう40回もの回数を重ねたユニークな活動がある。「オープンクリニック」というのがそれだ。
私がアメリカに留学をしていた時に、よく「Open House!」という看板を見かけた。最初は何のことだか理解できなくて、不動産屋が新しい物件が出た時によく出す類の、どうということのない看板だと思っていた。しかし現地の人に良く聞いてみると、その意味するところは実にアメリカ的なものだということがわかった。
日本では、中古の建て売り物件というと、新築に比べて値段が格段に落ちるのが相場だろう。歴史と伝統のある日本だが、「女房と畳は新しいほうがいい」のだ。人間の性、新しいものを好むのは世界中どこへいっても同じだ。しかし、アメリカにはあまり歴史と伝統がない。逆に歴史と伝統は自分達が作ってきたという自負があるのだろう。歴史は積み重なって、その価値を生む。古い家を買って、その家を自分でリフォームし、新しい付加価値を付けて高く売る。それがアメリカ流なのだ。

「私は以前買った古い家を、こんなにきれいで素晴らしいものにしましたよ。どうぞ来て見てください。いつもは自分達が住んでいる家ですが、そのために皆さんにopenにしましたよ」という気持ちを込めて「Open House !」と書くのだと教わって、なるほどと思った。
  アメリカでは大きな倉庫のような所で、いろいろな建材や資材、それに大工道具を売っている、いわゆる”Do It yourself”を売り物にした店が多いのだが、house keepingを自分たちでやるのが開拓時代からの伝統なのだと理解できた。そのかわり、日本の宮大工のようなsuper specialistはいないのである。
自分たちの作ったものを見てもらう。良ければ共感してもらう。その結果高く買ってもらえればなおよろしい。そんなOpen Houseを真似て、自分たちが理想を実現しようと作ったクリニックを見てもらおうと思ったのが、世田谷区若手医師の会でOpen Clinicをやるきっかけだった。そして会員のクリニックを順番にオープンにしていけば、自分の専門以外の診療ノウハウを皆で共有することが出来る。この頃はまだ○○先生は自分の軟膏処方を人には教えない、というような時代だった。今では優秀な斉藤クリニックのネブライザー処方が私のところで出来るので、患者さんはわざわざ遠くまで行く必要がない。また自分の目でその医療機関の内容を確認することが出来るから、医療連携が必要な患者さんに説明する際にも「この先生のところにはこんな設備があって、こんな診療をしていますから、是非行ってご覧なさい。ご紹介しますから」と当然ながら話す言葉にも自然と力が入る。こうして、Open Clinicは世田谷区若手医師の会の診療連携には欠かせない活動になったのだ。

  「私のクリニックはどうということのないところですから、皆さんにお見せするほどのことも……」と断る若い先生も中にはいるが、それは謙遜である。クリニックを新しく作るというのは、若い勤務医にとってはかなりのeffortだ。新規開業するにしても、継承して改築するにしても、一年、二年といろいろな問題をクリアしていかなければならない。たとえば標榜する科目の医療内容、設備や器械の種類や数、購入する会社も選んで決めなければならない。待合室の壁の色や診察室のレイアウト、電子カルテにするのか、紙カルテにするのか、患者、スタッフの動線は、等々。完成した暁には、自分の理想とする地域医療にどれだけ近づけたか、日々の日常診療を通して検証していくわけであるから、その努力の結晶を「大したことない」と評価する若手医師は自他共にいないはずだ。皆がクリニックを作るときに同じような体験をしているので、少しでも診療内容が異なれば、得るところは多い。私も平成5年の開業以来三回のオープンクリニックをさせて頂いた。そのおかげで、会員からの紹介患者さんも大変多くなっている。

  今回のオープンクリニックは、砧にある「阿部整形外科」が担当してくれることになった。阿部先生は日本大学医学部出身で、スポーツ整形外科が得意な若手医師である。開業のきっかけは、お父さんの病気だった。新潟で開業しているお父さんがかなり重症になり、手伝うために帰郷したのだが、幸運にも大過なく復帰されたため、良い機会だと考えて従来より土地勘があった世田谷にクリニックを構えることにしたのだという。68坪ある大きなスペースを二種類の理学療法スペースに割いているのは、以前調剤薬局であった同じビル内の隣の部分を買ったためだ。「隣の土地は借金してでも買えというじゃないですか」と、経営者としてもセンスの良いところを見せる。クリニックは国立成育センターの正面にあり、小児のリハビリが必要な患者が紹介されて来る事も多いという。常勤の理学療法士が丁寧に施療するので、他院では五十肩(肩関節周囲炎)で回らなかった肩がたちどころに治るというから、口コミもあって次第に患者数も増えてくることだろう。

  カルテは電子カルテ。レントゲンはデジタル撮影で現像は不要だ。レントゲン画像は電子カルテと連動した画像モニターにすぐに映し出され、拡大から輝度の調整まで可能。患者が望めば、CDに焼いて手渡すことも出来るとのことだから、IT医療技術もここ数年でかなり進歩と実用化が進んでいるのだと分かる。
「骨粗しょう症の検査というのは、いいかげんな検査が多いのです」と阿部先生はいう。「指の骨で測るものなども、かなりばらつく。自分はそこの所を研究していたもので、いいかげんな検査結果を患者さんに話すのがつらくなっていたのです」
「それで、本当に正確に骨密度を測れる機械を買いました。この機械を使いたいためにこのクリニックを開いたようなものです。定価6000万円で、大分安くしてもらいましたが、しかし、高かったですね」と教えてくれた。

  世田谷区若手医師の会のオープンクリニックでは、院長先生のお話を聞いた後に「院内ツアー」をする。これは、院内の様々な場所を院長に案内してもらうのだ。以前泌尿器科のクリニックを見せて頂いたときも、素晴らしくきれいなトイレとハーブの芳香を院内に常に流す不思議な装置を見せてもらった。今回も水流でマッサージするウォーターマッサージ器や、最新式の腰椎牽引装置などを見せてもらった。骨粗しょう症の機械は、レントゲン室の中にあって、本来なら省スペースで置けるレントゲン装置なのだが、この骨粗しょう症の機械のために、特別にその倍のスペースが用意されていた。この機械に賭ける並々ならぬ先生の思いを見た気がした。
今度は私の両親を連れて来て、この機械で測ってもらわなければと思う。

まず最初に、製薬企業からの情報提供がある。

熱心に聞く参加者。今回は12人が出席。

立って説明する阿部院長先生。

 阿部先生のOpen Clinicを経験した後、新しい動向が気になって「国際モダンホスピタルショー」(東京ビッグサイト)を見に行った。MINATO(リハビリ機器の会社)のブースで阿部先生の所では出来なかったウォーターマッサージを体験し、腰椎牽引の器械にも乗った。いろいろなブースを回って沢山の試供品をもらってきた。こうした展示会に一年に一回は行かないと、時代が変化しているのを体感できない。一緒に行った研修医2年目の鳥海先生も、実習に来ていた医学部5年生の田中君も感激した様子だった。

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