神津 仁 院長
1999年 世田谷区医師会副会長就任
2000年 世田谷区医師会内科医会会長就任
2003年 日本臨床内科医会理事就任
2004年 日本医師会代議員就任
2006年 NPO法人全国在宅医療推進協会理事長就任
2009年 昭和大学客員教授就任
1950年 長野県生まれ、幼少より世田谷区在住。
1977年 日本大学医学部卒(学生時代はヨット部主将、
運動部主将会議議長、学生会会長)
第一内科入局後、1980年神経学教室へ。
医局長・病棟医長・教育医長を長年勤める。
1988年 米国留学(ハーネマン大学:フェロー、ルイジアナ州立大学:インストラクター)
1991年 特定医療法人 佐々木病院内科部長就任。
1993年 神津内科クリニック開業。
「春の訪れを感じて」
今年は例年に比べて冬の寒さが厳しかったように思う。患者さんも口々に「今年は寒いですね」と診察室で話していた。では春の訪れが遅いのかというとそうでもなさそうだ。
自宅の盆栽の梅は二月の初めに満開となり、中旬には花びらを落とした。世田谷には「梅丘」という駅があり、羽根木公園で毎年梅祭りが行われる。羽根木公園に隣接して、東京都の整肢養護園があり、ここの子供たちがリハビリテーションとレクリエーションを兼ねて梅を植樹したのが始まりだという。小高い山のあちこちに綺麗な花を毎年咲かせ、650本ある木々が満開になると公園全体に甘い梅の香りが漂うことになる。今年はどうかと朝のwalkingの途中で寄ってみたが、9時前だというのにもう多くの人が集まっていた。
新型インフルエンザも季節性インフルエンザも、今のところ音沙汰が無い。新型インフルエンザの臨床症状は重くはないということが分かって、国民が安心したこともあり、また子供たちへの感染がかなり広がりをみせたが、それ以上の年齢への感染拡大が起こらなかったことから、結果として大した混乱も無く対応することが出来たのは、まさに不幸中の幸いだった。
ウィルスの世界にも縄張りというのがあるようで、一つのウィルスが人の間で蔓延していると、他のウィルスが同時に猛威を振るうということがないようだ。季節性のインフルエンザでも、B型が流行した後にA型が流行し、AとBとが同時に大流行を起こすことはない。まして、インフルエンザとアデノウィルス、ノロウィルスが同時に大きな流行をすることを経験したことはなく、自然界の不思議を感じる事柄でもある。
今回のインフルエンザ騒動でいろいろな既存のシステムに影響が生じた。一般的な事柄をいえば、まずマスクや消毒液の供給が極端に不足となった。不足だからとむやみに生産ラインを増やせば、今度は製造過多になって価格の暴落や在庫の山を築くことになってしまう。業者も難しい対応を迫られたと思う。抗ウィルス薬の生産も同様だ。リレンザのロタディスクは、気管支喘息の吸入用ステロイドと同じ容器を使っているため、リレンザの生産拡大に取られて、喘息薬の生産が間に合わなくなった。そのため、ロタディスクはリレンザのみで、喘息薬はディスカスという長期処方用のものだけになった。ワクチンの生産ラインも、季節性インフルエンザ用のワクチンラインの20%が取られ、従来の80%しか生産されないため、製品の納入も前年度の80%となった。各医療機関は、すでに昨年同様の予約を取り始めていたので、問屋から「昨年の実績の80%しか納入しません」といわれて激怒したことはご想像の通りだ。しかし、これが国の指導だということだからどうにもならない。長いものには巻かれろ、の喩え通り、泣き寝入りするしかなかったのだが、蓋を開けてみたら季節性インフルエンザの流行は無く、こちらのワクチンのニーズも低調だった。
おかげで、国内ワクチンのみで対応可能となり、外国製のワクチンにお役は回ってこなかった。日本政府が外国の製薬会社に払った違約金はいくらくらいになるのだろうか。これも我々国民の税金だ。こうした高度な判断のミスが、貴重な税金を無駄に使うことになるのだから、政府の官僚や政治家には勘の鋭い人になってもらわなければ我々は困る。
今回のインフルエンザ騒動で、もう一つ大切な事業に影響が及んだ。それは血液製剤の供給だ。日本赤十字社の事業として、献血による血液製剤の生産がある。東京大学医科学研究所先端医療社会コミュニケーションシステム社会連携研究部門客員研究員の成松宏人氏によれば、献血によって得られた血液が新型インフルエンザに感染していた患者のものであった場合、「製剤が血小板であったならば、有効期間4日の使用期限のため、既に患者さんに輸血されてしまったと想定されます。インフルエンザの潜伏期が1~7日であるため、血小板製剤の場合は、献血者が発症後自己申告しても既に患者さんに輸血された後…という危険性が危惧されるのです」と指摘している。この状況を回避するために、ヨーロッパでは「血液製剤の不活化」技術を導入しているとのこと。
「欧州を中心に不活化はすでに施行されており、35万回以上の輸血実績があります。ここで一つ重要なことは、これらの不活化処理の技術、使用されている機器、処理方法のプロセスなどが国際標準化されていることです。今後、起こりえるかもしれない副作用の発現状況の国際的な調査やその結果を評価する上で、プロセスが標準化されていることは極めて有利です。日本に導入する際にも国際標準にあわせた方法を導入する必要があります」としている。日本でも早急にこの方法を導入する必要がありそうだ。
成松氏はさらに日赤の責任をこう述べている。
「日赤は日本の血液事業を独占しています。それが故に、高い公共心とそれに基づく透明なマネージメントが求められることはいうまでもありません。今回の新型インフルエンザと輸血不活化技術問題では、国民に正確な情報を提供することは日赤の使命ともいえます。そして、我々医療従事者は患者さんの利益を守るために、この問題について引き続き議論を行っていく必要があります」
日赤が今後社内での体質改善を行っていくだけでなく、国民に対して、正確な情報を開示して、国民の参加と血液製剤提供事業に対する献身を呼びかけることが必要であると成松氏は訴える。実際、今回の新型インフルエンザによる感染防御のために、国民が外出を控えることだけで、結果的に献血事業に接する機会が激減することが分かった。毎日、医療現場では血液製剤の供給に依存しており、供給が止まれば命を失う患者も出る可能性があるのだ。こうした影響を事前に読み解いて、国民が路頭に迷わないようにするのが国家的リスクマネージメントというものだろう。
今回の新型インフルエンザ騒動では、リスクマネージメントの不備と起きてしまった事柄に対する対処方法としてのクライシスマネージメントがうまく行かなかったと多方面から指摘されている。国家としての体裁がなっていないと、政府、官僚、特に厚生労働省の医系技官が矢面に立たされて集中砲火を浴びた。今後は今回の事態の経験を元に、起こった事実をきちんと分析して対処方法を学ばなければならない。
梅丘の羽根木公園では、梅まつりに合わせて日赤がテントを作って献血を呼びかけていた。地域での、こうした地道な活動が日本の医療を救うのだと思う。
嬉しい春の訪れがもう一つあった。先月の20日の土曜日に、「せたがや福祉100人委員会」という区民と行政で作るボランティア団体が主催の講演会があり、基調講演を依頼されたので出席してきた。「最後まで在宅で支えるしくみづくり」部会のシリーズ「私たちが欲しい最後まで在宅」「区民の視点で考える『私たちが知りたい在宅医療のいま』」という内容について、第一回シンポジウムということで、他の三人のシンポジストとともに長時間区民と話し合った。