神津 仁 院長
1999年 世田谷区医師会副会長就任
2000年 世田谷区医師会内科医会会長就任
2003年 日本臨床内科医会理事就任
2004年 日本医師会代議員就任
2006年 NPO法人全国在宅医療推進協会理事長就任
2009年 昭和大学客員教授就任
1950年 長野県生まれ、幼少より世田谷区在住。
1977年 日本大学医学部卒(学生時代はヨット部主将、
運動部主将会議議長、学生会会長)
第一内科入局後、1980年神経学教室へ。
医局長・病棟医長・教育医長を長年勤める。
1988年 米国留学(ハーネマン大学:フェロー、ルイジアナ州立大学:インストラクター)
1991年 特定医療法人 佐々木病院内科部長就任。
1993年 神津内科クリニック開業。
「開業医の社会活動」
10月はいろいろなイベントがあって多忙を極めた。まずは3日に世田谷区医師会内科医会の創立50周年祝賀会。10日、11日には金沢で日本臨床内科医学会があり、ポスター発表と地域医療委員会の委員長として「『成人百日咳』緊急アンケート調査」の報告をした。14日には国際医療福祉大学大学院公開講座、乃木坂スクールでの講義で「クリニックの連携とチーム医療」。16日には新宿区の弘済会館にて、全国在宅医療推進協会主催の市民公開講座と第3回ファミリーケア大賞授与式。17日は医療コミュニケーター養成講座で講義。19日には世田谷区医師会神経疾患研究会にて講演。
これだけ事前準備の必要があるイベントが続くのはここのところなかった。開業医師の社会的活動は、私に限らず、多岐に渡る。その片鱗を記録してみたい。
まずは「世田谷区医師会内科医会創立50周年を祝う」だ。世田谷区医師会雑誌に投稿しようと思って準備したものがあるので、ここに載せさせて頂くことにしたい。
去る10月3日、世田谷区医師会内科医会が平成22年で創立50年を迎えた事を祝い、渋谷のセルリアンタワー東急ホテルのボールルームにて盛大な祝賀会が行われた。天候も良く、出席者の華やいだ雰囲気の中、まず小会場で特別講演が行われた
講師は東京大学先端科学技術研究センター特任教授米本昌平先生。演題は「21世紀の生命倫理と日本の医療 内科医がめざすべきものとは」。メンデルの古典的遺伝学とはまったく異なる、新しい遺伝学が始まっていること。人の遺伝子がすべて解読された今、その遺伝情報を目の前にして、研究者はどのように振る舞うべきなのか、キリスト教を中心とした欧米各国の考え方、ES細胞を中心とした生命倫理上の諸問題について各国がどのように対応しているのかを示しながら、日本人はどのような立場を取るべきなのかと問いかける。そしてその中心的な役割を担うのは、患者を目の前にした我々内科医であり、医師という専門職の組織団体である日本医師会である、と。
米本先生の素晴らしい講演内容に、参加して下さった方からは「このような講演は聴いた事がなかった。大変勉強になった」と、口々に賞賛の声が聞かれた。
その後、大会場にて祝賀会が行われ、まずは神津(仁)会長から開会の挨拶が述べられた。
「本日は天候に恵まれ、このような盛大な会になりました事を心より感謝申し上げます。また、鈴木東京都医師会長先生を始めとして、日本の医療、医学のトップリーダーの方々にお集まり頂きました事は大変光栄な事と感謝申し上げます。50年前に、胃バリウム造影写真の読影、心電図の読み方から始まった内科医会の活動ですが、その時に活躍した医師は40歳代でした。そして、この50年間に内科領域で起きました進歩は驚くべきものであります。情報量にすると今は、50年前の500倍の医療情報を我々は扱っている事になります。
講師として私共に最新最良の医学・医療の知識をご教授頂きました先生方のお力がなければ、世田谷という地域の医療が良質である事は出来なかったと断言出来ます。本当に有り難うございました。地域医療を預かる私ども開業医にとって、心安らかに自らの医療技術を患者さんの治療に向けられるのは、家族の協力と、チームとして共に働く優秀なスタッフがいてくれるからであります。これは、医師会事務局、処方箋薬局、臨床検査会社についても同様であります。また、内科医にとっての武器である、薬剤に関する良質な情報を届けてくれる製薬会社とそのMRの方々の助力も大きなものがあります。
本日は、こうした、お世話になりました全ての方に50年間の感謝を込めまして、心からのおもてなしを用意致しました。短い時間でございますが、是非楽しんで頂けたらと考えております。最後に、この50周年をメルクマールとして、次の50年に向けて歩みを止める事なく進んで行く所存でございます。今後も、皆様のご指導、ご協力を頂けますようお願いを申し上げまして、私のご挨拶と致します。有り難うございました。」
来賓のご挨拶は、まず始めに鈴木東京都医師会長、次いで古畑世田谷区医師会長、そして望月東京内科医会会長にご祝辞を頂き、神津(康雄)内科医会顧問が乾杯の音頭を取った。神津(仁)会長は出席者150名全てにお酌に回り、一言ずつ声を掛けてテーブルを盛り上げた。
食事はセルリアンタワーホテル自慢のミシュラン☆レストランである「クーカーニョ」からのフランス料理のフルコース。デザートに入る前に洗足学園音楽大学ロック&ポップス科のボーカル担当教授である「丸山圭子」さんのミニライブが始まった。
さすがにプロ歌手で指導教授の丸山さんの歌声は素晴らしく、トークを含めて5曲を歌って楽しませてくれた。小学校2年生の男の子からの花束プレゼントもあり、この頃には、会場が一体となった大変な盛り上がりを見せた。最後に、神津(仁)会長は「一年間周到に準備してきましたが、とくに医師会事務スタッフの働きが顕著でした」と安部次長、四戸職員を壇上に挙げて感謝の意を表した。
そして、ご参加の皆さんに、次の50年に向けて内科医会の発展に努力することを誓い、これを謝辞として閉会となった。ゲストのお帰りに際して、神津(仁)会長、加藤副会長、司会を担当した石橋幹事がお見送りし、無事に祝賀会がお開きとなった。
金沢では、日本臨床内科医学会が行われた。9日は土曜日なので、患者さんをしっかりと診察してから羽田空港へ向かう。羽田空港の4階にはラウンジがあって、VISAのゴールドカードで入れる。疲れていたので「自動マッサージ器」に乗った。100円で10分ほど揉んでもらったが、これが大変気持ち良かった。飛行機は満席で着席するのも大変だったが、金沢まで45分の空の旅はあっという間だった。
以前に金沢で行われた学会は平成7年の9月だったので、駅前の大きな変化にびっくりした。金沢駅から日航ホテルまでは地下街が繋がっていて、どしゃぶりの雨にも関わらず濡れずに行けた。ポスターは金沢県立音楽堂のB1に張り出す事になっていて、10日の9時に早々とセットをしにいった。発表は11時からだったので、それまでの空いた時間に近江町市場に行った。「山さん寿司本店」がお勧めという事で、家内が脇目も振らずに連れて行ってくれた。この写真にある海鮮丼はさすがに美味しくて、朝早かったのだが完食してしまった。
「これが今回発表したポスター」 |
10月16日には、新宿の弘済会館にて全国在宅医療推進協会主催の市民公開講座と第3回ファミリーケア大賞授与式が行われた。開催趣旨は以下のようなもの。
「私ども在宅医療推進協会は、医療者のみならず、ケアを支える専門職、市民を交えて、良質な在宅医療・在宅ケアを日本に根付かせるために、啓蒙と普及発展のための活動を10年以上に亘って行ってきました。しかし欧米に比較して、一般社会への浸透は残念ながらまだまだで、家庭介護も厳しい状況にあります。
そこで、私たちは無償で家庭介護をしている方(ケアラー)たちに、エールを送るためのイベントを作りたいと考え、2007年に当協会独自のAwardとして「ファミリーケア大賞」を設けました。今年で第3回となりますが、さらにこの活動を日本のケアラーたち、ケアラーの身近にいても関心を示さなかった人達にも知って頂いて、介護する方達に笑顔を届けられたらと、そう考えています」
市民公開講座の講師は英(はなぶさ)裕雄先生。生活介護、特に看取りについての私的介護の良さを訴えたお話は会場に感動を与えていた。スタッフに聞くと、ハンカチで目頭を押さえている女性もいたとのこと。在宅医療の良さは十分伝わったのではないかと思った。