神津 仁 院長

神津 仁 院長
1999年 世田谷区医師会副会長就任
2000年 世田谷区医師会内科医会会長就任
2003年 日本臨床内科医会理事就任
2004年 日本医師会代議員就任
2006年 NPO法人全国在宅医療推進協会理事長就任
2009年 昭和大学客員教授就任


1950年 長野県生まれ、幼少より世田谷区在住。
1977年 日本大学医学部卒(学生時代はヨット部主将、
運動部主将会議議長、学生会会長)
第一内科入局後、1980年神経学教室へ。
医局長・病棟医長・教育医長を長年勤める。
1988年 米国留学(ハーネマン大学:フェロー、ルイジアナ州立大学:インストラクター)
1991年 特定医療法人 佐々木病院内科部長就任。
1993年 神津内科クリニック開業。

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「未来はなかなか見えにくい」

 日経BP社が報じた記事に、「21世紀医療フォーラム『21世紀ヘルスケア』第2回研究部会が、(2009年)6月25日に開催」というのがある。その年の3月に「第1回『21世紀ヘルスケア』研究部会」がスタートし、「よりよい高齢期を迎えるために、疾病予防から治療・管理にいたるトータルヘルスケア概念を確立することの重要性が指摘された」とある。21世紀医療フォーラム取材班シニアライター田野井真緒氏によれば、この第2回の研究会の時に、「東京大学高齢社会総合研究機構教授の辻哲夫氏らが構想している超高齢社会モデルを中心に議論が展開された」ようだ。

 この「千葉県柏市・豊四季台団地」における社会実験については、2011年10月21日 の高齢者住宅シンポでも語られた。「生まれ変わる柏市・豊四季台地域の暮らし。在宅で医療、看護、介護サービスが受ける体制が整い、いつまでも自宅で安心して生活できる」というキャッチフレーズは魅力的だ。辻氏は元厚生労働省の事務次官で内閣官房内閣審議官。自民党政権の年金記録漏れ問題への対応が批判された中、煽りをくって更迭された。しかし、平成18年の医療制度改革の立案責任者であり、「予防重視、質の高い医療の確保」「医療費適正化の推進」「後期高齢者医療制度」を創設し、「在宅医療の推進」のために大幅な診療報酬改定を行った辻氏が、大学という枠に囚われて終わるわけがない。彼を慕う官僚は霞が関に多くいて、「辻説法」と揶揄されながらも、日本の医療改革について熱く語る辻氏の影響はまだまだ残っているといってよいだろう。その資料がnet上で手に入る。

http://www.pp.u-tokyo.ac.jp/ERES/forum/2011-10-21/documents/ERES20111021-tsuji.pdf

 私が読んで「実際にその土地と変化を見てみたい」と思ったのは「柏市豊四季台地域高齢社会総合研究会」の資料「長寿社会のまちづくり~柏市・東大・URの取組について~【概要版】」だったが、どういう訳か「※この資料を元にした総説や無断転載・転写は固く禁じます」とあるので、そのfileのある場所だけ示しておきたい。
http://kashiwa-toyoshikidai.org/uploading/110628_kashiwa-toyoshiki_sum.pdf

 以下のスライドは辻氏の「高齢者住宅シンポ参考資料」にあるものなので問題はないと思う。辻氏はあちこちでこの資料を使って説明しているので、柏市豊四季台地域高齢社会総合研究会が無断転載を禁じることもなかろうと思うのだが・・・。

 さて、Wikipediaによれば、豊四季台団地は「古くは明治2年に明治新政府の方針で始められた開墾地で、下総台地の一部を土地を開拓する時に開拓した順番に数字を振り、そこに縁起の良い文字をつけたことに由来する。順に初富、二和、三咲、豊四季、五香、六実、七栄、八街、九美上、十倉、十余一、十余二、十余三と続く」とある。昔の日本人の言葉遊びに語源があるとはなかなか洒落た名前の付け方だ。
 「かつて柏競馬場(1952年廃止)があった場所に造成された。同じ柏市にある光ヶ丘団地と並んで、日本住宅公団による大規模団地造成であった。団地は豊四季台1丁目~4丁目に区分されている。ほとんどが中層住宅だが、2棟だけ後期に建設された高層住宅(豊四季台第2)がある」
 ここに住む人達が通勤する柏駅周辺は、JRと東武鉄道が乗り入れ、ルイ・ヴィトンのある洒落た小都市だ。私が訪れたのは木曜日の午後。昭和大学歯科病院を受診した後に時間が出来たので、以前から興味があった「生まれ変わる土地」であるここに来てみたのだ。「乗換案内」というアプリを見ると、渋谷から1時間20分とあり、足を延ばすにはちょうど良い時間だった。すぐにタクシーで渋谷へ行き、東京メトロ銀座線で上野、上野からは常磐線のフレッシュひたち(特急)に乗り継いだ。柏駅に降り立ったのは丁度5時になる前で陽はまだ高く、少し歩くと汗ばむ陽気だった。

 柏駅から中央通りをまっすぐに下ると、市立柏中学がある。大きな中学校で、校舎も校庭も、都内の中学の倍はあるだろうか。その近くに県立東葛飾高校があり、ここもちょっとした大学レベルだ。驚いたのは保育園で、4階建てのビル一棟が丸ごと保育園だった。

 やはりここは都市近郊のベッドタウンである。若いサラリーマンが家庭を持つ時に、まずは選択肢としてこの柏市をリストアップするのが分かる気がした。住民が多ければ、生活に密着した商売もニードが高いのだろう、美容院も都内の美容室の3倍はある大きな店だった。iPhoneを片手にマップを開きながら豊四季台団地を探して歩くこと20分。その途中に、この土地に長く開業されていたのだろう、自宅の面積も広々とした診療所をいくつか見た。都内では相当資金が必要な一軒家も、柏市では割安なのだろう、新築中の家もまだまだ多くあった。そして、しばらく行くと、それまでとは違った規模で高台があり、そこに豊四季台団地が姿を現した。まずは東の端から団地内に入る。最初は古い団地が連なり、そのうちにきれいな舗装道路と近代的なマンション群が現れる。

 「都市再生機構(UR)による建て替え事業の対象となっており、2004年から事業に着手している。2008年11月から、第1次建て替え分が完成し、再入居が始まっている。なお、この建て替えられた住宅に限り『コンフォール柏豊四季台』の愛称が付けられた。住居は主に5階建ての中層棟だが、1988年に完成した高層棟もある。中心部にはスーパーマーケット(ピーコックストア)や商店街も存在し、居住者の高齢化や生活スタイルの変化により近年は閉店する店もあるが、シャッターが目立つほどではない。近年は高齢化が問題となっており、居住者の4人に1人が高齢者で、孤独死などの問題も多く、自治会が対策に追われている」とある、Wikipediaそのままの団地だった。

 高齢化、孤独死といった問題は、日本中の昭和30~40年代に建てられた都市近郊の公団住宅では、この豊四季台と同じように浮かび上がっているのだと思う。「地方出身の中流サラリーマンに良質な住居を提供する」という当初の目的から、その対象住民と大きさについては「一住宅の広さは夫婦と子供2人程度を想定した40m2から60m2程度の3DKタイプが多い」のだ。地方出身の中流サラリーマンは、子供を産み育て、子供が自立するようになれば、老夫婦二人が残される。こんな当たり前のLife styleが、住宅を提供する側になかったというのが信じられないが、右肩上がりの高度成長路線の延長で、裕福になった国民が全て団地から個建て住宅へと移行していくと読んだのだろうか。官僚や計画立案者の読み違いは、この国では良くある事なので何ともいえないが、いつの時代でもフレキシビリティを残して設計するのでなければ、クレバーとはいえない。

 昔、知り合いの建築家を二人呼んで話を聞いたことがある。一人は個人住宅を主として設計するグループに属している若手建築家、一人は厚生省の技官で京都大学出身のバリバリの官僚で、某国立病院新館の設計もした中堅の建築家だった。面白かったのは、二人の建築家としてのスタンスが全く違うことだ。個人住宅を設計する彼は、施主さんが大切にしているお皿の一枚一枚を大切に収納する棚を、どうやって設計したらよいかに腐心しているという。大切なのは住む人の気持ちや心を住宅設計にどう取り入れるかだ、と主張する。反対に、官僚の彼は、与えられた予算をどう消化するかが最も大事で、病院のように「病室と管理区域」の単純な組み合わせは、CADという設計コンピューターを使えば苦も無く設計できる。患者の事は知らない。国から任せられた予算だから、1億や2億違ったってどうということはない、と言い放った。それより、工事を発注する先の建設会社や工事会社の管理が問題で、以前の国立病院建設ではとにかく手抜き工事だらけでとんでもない建物になっていたのだと怖いことを言っていた。この二人の会話は延々と続き、ウィスキーが一本空いて、三人ともいい気分になって散会した思い出がある。
 公団住宅を設計した建築家は、建物だけを建てることが目的で、そこにどんな人が住もうが、どんな人生が営まれようが関係ないと思っているふしがある。だから、新しい建物にも、人の気配はあまりない。

 千葉の古い家に育ったI先生が、研修で私のクリニックに来た時に、「私の家では『納戸じいちゃん』『納戸ばあちゃん』という言葉がありました。人生の末期になると、じいちゃん、ばあちゃんは小さい納戸に寝たきりになって、お医者さんがその部屋によく往診に来ていました。私が子供の頃は、じいちゃん、ばあちゃんに会いにその部屋に良くいっていたものです」と言っていた。そこで死に水を取ってもらい、弔われるのが自宅での人生の完結点なのだ。今はこうした家も個人住宅ではあるだろうが、公団住宅にはありそうもない。公団住宅を設計する設計者は、住む人たちの、どんな人生の営みを想像して設計をしているのだろうか、と興味が湧く。
 とにかく、生老病死という人生の営みを想像することなく、私が一緒に話した厚生官僚のように、予算を使うことが目的で設計しているのであれば、すでに出来てしまった建築物をどう眺めようが、そこに「機能的な視点」を見出すことは出来ないのだと思う。私のクリニックも、このみかみビルの設計の段階からクリニックの設計者とともに空間の処理を東急建設に指示したから、20年という年月も問題なく使用し続けることが出来ているのだ。この豊四季台団地に本当に人生サイクルをバックアップする機能を持たせようと思ったら、都市再生機構(UR)がこの団地の建築物の設計図を引く前から関与しなければ、とてもまともな成果物が得られるとは考えられない。

 これは私が在宅医療を成功させるために必要な条件について講演したスライドの一枚であるが、まず第一に「良い住環境」を考えることが重要であるという認識を持つことが重要である。良い住環境とは、「団地」というステレオタイプな住環境で十分なのか、5階建てでいいのか、いろいろと考えていく必要があるだろう。

 病院建築でさえ、国際的にはすでに、箱がたくさん重なっている従来のビル構造の病室は古いといわれている。病室一つ一つにいろいろな形があって、出来れば二階建て以下で、草花が生い茂る地面の近くで、人が人として療養が出来るように設計するのが「病を癒す部屋」としての病院であるという、まったく新しい思想のもとに設計図が引かれるようになってきている。そんな時代に、もっと革新的で、自然と共にあって人生を「始めて、そして終われる」ような、理想的な土地とコミュニティの設計を、医療と共に創造して行ったら良いのに、と思う。

 高齢化が進んで「一部の地域では35%の高齢化率をみる」「高度経済成長時代に都市に流入した人口の高齢化が進み、都市部においてより高齢社会の問題が深刻になることが予想されるから」辻氏はこの場所を選んだのだという。しかし、もうすでに第1次建て替え分が完成し、再入居が始まった。建て替えられた住宅は「コンフォール柏豊四季台」と名付けられていて、なるほどURらしい集合住宅だ。しかし、ここにはとても自然と人の調和があるとは言い難い。

 その区域を少し離れると、古ぼけた団地が建ち並ぶ。区画の端には老人保健施設があって、なるほど地域を考えたセットが用意してあるかと思うが、その施設の大きさはこの公団住民に4人に1人が65歳以上という超高齢化社会が訪れるという前提で建てられたとはとても思えないものだった。

 昔は栄えたと思われる団地内商店街も人通りが少なく、木曜日の午後5時だというのにシャッターが閉まった店もあった。ふつう自販機の横には、ウンコ座りをするちょっとやんちゃな青少年がたむろしているものだが、ここでは日に焼けた老人がコップ酒と煙草を手にたむろっている。団地内の診療所も、ペンキの禿げた外装のまま、住人と同じ年月を過ごしているようだった。

 今、この豊四季台団地は大きな転換点を迎えているらしいが、今回の現地調査からはどうしてもここが「生まれ変わる」コミュニティとは思えなかった。最後に工事をしている人に「この図だと、ここらへんに公園があるはずなんですが、どこにありますかね」とiPhoneの画面を見せながら聞いてみた。
 「知らねえな。そのうちそこを壊す事になってるから、それからじゃねえの?」と。
 地域医療拠点はどこかな、包括支援センターは、介護拠点は、何か見落としているものはないかとあちこちと歩き回ったが、医療の「い」の字も、介護の「か」の字も見えてこない。さすがに疲れてバスを待っていると、このコミュニティバスが住民に随分と足代わりに使われているのが分かった。おそらく、東武バスが運営するこのコミュニティバスが、コミュニティそのものが運営する形に変わって初めて、有機的な繋がりのあるものになるのではないかと、そんな思いを抱いて帰途につく事になった。

 さて、この東大-柏モデルの地域医療再生計画のスケジュールによれば、平成24年半ばには「包括的在宅医療実践研究センター」が稼働し、来年には中期的効果を検証しないといけないことになっている。予算がどれだけ注入されているかは知らないが、お役人特有の机上の空論に終わらないように、我々市民はwatchしていく必要があるだろう。

 ゴルフ産業は斜陽だ。千葉には広大な規模のゴルフ場がある。それらを買い上げて老人も子供も安全で安心な医療・介護コミュニティを作ったらどうだろうか。ここを再開発すれば、自然にも恵まれ、危険な場所も少ないエリアに様変わりするだろう。子供が遊び、老人が憩うのに最適な場所だ。そこに医療スタッフを配置し、介護スタッフが電気カートで各住宅を回っていく。夜には音楽の調べや詩の朗読、おしゃべりや一杯ひっかけるバーもあって、天空の天の川を見ながら静かに眠りにつく。そんな未来を想像してみたい。
 もう完成してしまった高層団地をいくらいじくってみても、コミュニティ機能をきちんと想定していない建築家が作った公団住宅に、後から医療・介護機能を付け足してもうまく行くはずがない。22世紀の産業は医療だ。今からその下準備をしておくのに決して早いことはない。

2012.07.01 掲載 (C)LinkStaff

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