神津 仁 院長
1999年 世田谷区医師会副会長就任
2000年 世田谷区医師会内科医会会長就任
2003年 日本臨床内科医会理事就任
2004年 日本医師会代議員就任
2006年 NPO法人全国在宅医療推進協会理事長就任
2009年 昭和大学客員教授就任
1950年 長野県生まれ、幼少より世田谷区在住。
1977年 日本大学医学部卒(学生時代はヨット部主将、
運動部主将会議議長、学生会会長)
第一内科入局後、1980年神経学教室へ。
医局長・病棟医長・教育医長を長年勤める。
1988年 米国留学(ハーネマン大学:フェロー、ルイジアナ州立大学:インストラクター)
1991年 特定医療法人 佐々木病院内科部長就任。
1993年 神津内科クリニック開業。
「あなたは健康寿命を知っているか?」
■「老い」と「高齢者」
「老」という漢字は腰の曲がった人が杖をついている姿を表した象形文字で、年をとることによって起こる衰えを表現しているといわれる。したがって老年期とは一般に老いの始まる時期、あるいは老いがはっきりと現れる時期と考えてよいだろう。
では、「高齢者」というのは大体何歳くらいをいうのだろう。このエッセーの読者は若い医師が多いので、「高齢者」という言葉にあまり強い関心はないだろうと思う。医学書に書かれている定義を漠然と読み飛ばしているだろうし、処方内容や検査手技、手術対象となる高齢者への対応や注意点など、医療的な問題に対しての意識にとどまるのではないだろうか。私にとっても同じようなものだった。
しかし、知らぬ間に暦を重ねて、とうとう年金をもらう年になってしまった。ちなみに、人口の年齢構造における定義では、14歳以下を「年少人口」、15~64歳までを「生産年齢人口(現役世代)」、65歳以上を「高齢人口」という。また、高年齢者等の雇用の安定等に関する法律(略称:高年齢者雇用安定法)における「高年齢者」とは55歳以上の者をいう。
我々医師は雇用という枠からすると一般社会人よりも10年遅れて一人前になり、10年遅れて年を取っているような感覚がある。しかし、生理学的には自分が高齢者なのだと自覚する必要があるのだろうと思う。
国連の世界保健機関(WHO)の定義では、
a)65~74歳までを前期高齢者
b)75歳以上を後期高齢者
c)85歳以上を末期高齢者 としている。
人の発達段階からみると、老年期とは成人期に引き続く人生最後の時期と定義されており、その境界となる年齢は一般に65歳とされている。どのような根拠に基づき65歳以上を老年期と定めたのかは不明だが、一説によると、19世紀ドイツの有名な政治家ビスマルクが年金制度を定めた際に、その当時65歳を超えて長生きする人はごくまれであるという理由で「65歳以上を老人」と定義したといわれている。この定義からすると、現代の日本では90歳としても良いくらいだが、雇用という面から相殺すると70歳くらいが適当かもしれない。
ちなみに国の各種統計に用いる定義としての「老齢人口」とは、満65歳以上の老人の人口とされており、都市計画・社会保障問題を考えるときに重要な数字と認識されている。また、社会福祉政策上の「老齢年金」とは、一般にいわれる老後の年金であるが、公的年金である国民年金の「老齢年金」と厚生年金(正式には「厚生年金保険」)の「老齢年金」があり、それぞれ正式には「老齢基礎年金」と「老齢厚生年金」と呼ぶことになっている。原則65歳から受給ができる。私にも、年金受給の資格を得るために3月からいろいろな書類が来て、いよいよ「高齢者になったか」という感慨をもった。
「老い」に対する考え方は人によって異なっており、実にさまざまだといえる。平均寿命が延びた現在では、20~30年前に比べて元気で活動的な高齢者が、私を含めて増えていることは事実だろう。平均寿命が50代前後であった戦前と80代の現在とでは、社会の情勢も大きく変わった。平均寿命には地域的な差もあり、暦年齢で老年期の定義をするにあたっては、時代的、地域的および社会的な背景などを考慮することが必要になっている。
そうした意味で、現代では新しい高齢者の区分を提唱する者も出てきた。米国のニューガーテンは、1975年に老年期を暦年齢ではなく、社会的活動度を指標として老年前期(ヤング・オールド)と老年後期(オールド・オールド)の2つに分けることを提唱した。
老年前期(ヤング・オールド)は、労働や子育てなどの社会的な責務から解放され、社会的活動に自分の時間を費やすことが可能な世代。
老年後期(オール・ドオールド)は、旧来の意味での老年期で、心身の衰えによって特徴づけられる時期。
※前期と後期の境は、75~80歳くらいだが、これはあくまでも目安としての意味しかもたず、前期と後期を区別する重要な物差しは、社会的活動度であるとされる。
また老年前期・後期のほかに、超高齢期(オールデスト・オールド)を加え、3段階に分類する者もいる。この場合、超高齢期の境界となる暦年齢は85~90歳とされている。
■高齢化の現状
高齢化について語るときに、その定義をおさえておかなければならない。「高齢化社会」とは、高齢化率が7%~14%をいい、「高齢社会」とは、高齢化率14%~21%、「超高齢社会」とは、高齢化率21%以上をいう。我が国の65歳以上の高齢者人口は、昭和25(1950)年には総人口の5%に満たなかったが、昭和45(1970)年に7%を超え(国連の報告書において「高齢化社会」と定義された水準)、さらに、平成6(1994)年にはその倍化水準である14%を超えた (「高齢社会」と称される)。
内閣府が出している平成26年版高齢社会白書によれば、我が国の総人口は、平成22(2010)年には1億2,806万人であったが、平成25(2013)年のデータでは1億2,730万人と、平成23(2011)年から3年連続の減少となっている。65歳以上の高齢者人口は、過去最高の3,190万人(前年3,079万人)となり、総人口に占める割合(高齢化率)も25.1%(前年24.1%)と過去最高となった。65歳以上の高齢者人口を男女別にみると、男性は1,370万人、女性は1,820万人で、性比(女性人口100人に対する男性人口)は75.3であり、男性対女性の比は約3対4となっている。また、高齢者人口のうち、「65~74歳人口」は1,630万人(男性772万人、女性858万人、性比90.0)で総人口に占める割合は12.8%、「75歳以上人口」は1,560万人(男性598万人、女性962万人、性比62.2)で、総人口に占める割合は12.3%である(表1-1-1)。今まさに4人に1人が高齢者、8人に1人が75歳以上人口という「本格的な超高齢社会」となった。
■「健康寿命」とは?
最近、「日本人の健康寿命を延ばそう!」キャンペーンが行われている。平成22年度に、60歳以上の高齢者の「健康である(=健康+病気でない)」いう意識について調査した結果を見ると、日本は94.1%という驚異的な割合を示している。これは、いわば定年を迎えるほとんどの日本人が自分は健康で病気ではない、というのと同じだろう。「一人の人が生涯健康で過ごせた」割合について国別比較を行った2007年カナダの資料でも、以下のごとく日本が92.5%と最も多い。
しかし、「健康寿命」の定義は非常にあやふやだ。「健康」についていえば、WHOが健康の定義を提唱しているが、これに則っているわけではない。当然、あやふやな「健康」の定義(これについては後ほど解説する)で作った「寿命」に、いわゆる「平均寿命」のような信憑性はありえない。
Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.
(健康とは身体的・精神的・霊的・社会的に完全に良好な動的状態であり、たんに病気あるいは虚弱でないことではない)
これがWHOにおいて1999年の総会で健康の定義として提案されたものだが、まだ審議には至っていないようだ(Wikipediaより)。Dynamicとあるように、人の健康状態はstaticなものではない。昨日まで悩んでいた腰痛が、今日は良くなって気持も楽になった、ということは誰でも経験することだろう。それをあえてstaticなもので、把握することが可能なものとして「数値を指標化」とするとなれば、その意味は限定的なものだと理解しなければならないだろう。それを医療経済学的な指標として利用する場合も、このことを十分に考慮して利用すべきだ。
平成26年構厚生労働白書には、「今後、平均寿命の延伸に伴い、こうした健康寿命との差が拡大すれば、医療費や介護給付費用を消費する期間が増大することになる。疾病予防と健康増進、介護予防などによって、平均寿命と健康寿命の差を短縮することができれば、個人の生活の質の低下を防ぐとともに、社会保障負担の軽減も期待できる」としている。
しかし、「『改革』のための医療経済学」の著者である兪炳匡氏によれば、「予防によるコスト削減効果はほとんど期待できない」し、「健康寿命を延ばす政策は医療費を増加させる」と解説している。
「70歳の時点で健康な高齢者と病弱な高齢者を比べると、70歳以降の1年当たりの医療費は後者のほうが高いが、前者のほうが健康ゆえに長生きするため、死亡時までの総医療費は前者の健康なほうが高くなります。もっとも、この比較では、非常に病弱な施設入居者は除かれています。この研究結果は、予防に努め70歳の時点で健康な高齢者のほうが、相対的に不健康な高齢者より、トータルでは70歳から死亡時までの総医療支出を上昇させる可能性を示しています(兪炳匡)」
■健康寿命の算定方法
平成24年9月に出された「健康寿命における将来予測と生活習慣病対策の費用対効果に関する研究班」による「健康寿命の算定方法の指針」を見ると、指標として用いられるものは3つである。
- 日常生活に制限のないことを「健康な状態」と規定して、質問に対して自己申告で答えた数値(Yes or No)を利用する。
- 自分が健康であると自覚していることを「健康な状態」と規定して、質問に対して自己申告で答えた数値(「よい、まあよい、ふつう、あまりよくない、よくない」のうち五者択一)を利用する。
- 介護保険の要介護2~5を不健康な状態と規定し、それ以外を健康な状態として、都道府県および区市町村の全国データベースから数値を利用する。
この3つの数値を、基礎資料である「対象集団の人口、死亡数、不健康割合の分母と分子、および全国人口、死亡数と生命表等」を用いて数式に当てはめ、95%信頼区画を割り出すのだ。ここで実際の患者のデータが扱われることはないし、カルテを参照することもない。あくまで算定に利用可能な都道府県や市区町村が国に提出した無人称データを用いた推計値だということを忘れてはならない。
当然、質問に対する答えの信頼性は高いものとはいえず介護認定区分の判定がそのまま「健康か不健康」かの厳密な線引きになるとは限らない。研究班の報告にも、算定方法の項目に以下のような但し書きがある。
健康寿命の算定結果をみるにあたって、前節までの算定方法に関する事項を考慮する必要がある。たとえば、「日常生活に制限のない期間の平均」と「自分が健康であると自覚している期間の平均」は、質問への回答に基づいている。その再現性と妥当性は必ずしも十分に検討されていない。ここでは、国民生活基礎調査データの利用を想定しているが、その質問の回答は居宅者であり、医療施設の入院者や介護保険施設の在所者が含まれない。「日常生活動作が自立している期間の平均」は介護保険の情報に基づいており、介護保険の申請状況や要介護度の判定方法はその算定結果に強く影響する。
いずれの指標でも標準的な算定法を用いている。ただし、追跡観察に基づく個々人の健康な期間と不健康な期間から直接に求めたものでなく、一定の仮定の下で算定されたものである。その仮定としては、現状の死亡率と不健康状態の発生率に従って将来の健康・不健康・死亡の移行が生ずること、定常人口の不健康割合が現実の対象集団のそれと一致することである。これらが無批判に受け入れられるものでないことを注意しておこう。
つまり、健康寿命というものは、まだまだわが国においては研究段階であり、その内容としての疾病構造等について詳細に議論するという段階ではないのだ。しかも、現時点でも日本人は世界一の健康な人生を送っている。健康度は教育や経済程度と比例するため、世界の多くの国々ではそれが大きな国家的課題となっている。日本は、世界貢献の一助として、世界の人々が健康な人生を過ごせるために支援・協力することが大切だ。すでに世界一健康な生活を送っている多くの日本人をさらに健康にするというselfishな姿勢ではない。
おかしいのは、そのあやふやな健康寿命というものが、あれよあれよという間に「健康日本21」というプロジェクトによって社会的認知を受け、さらにその延伸をはかることが国を挙げての目標だと大騒ぎになっている。機を見るに敏な製薬会社は、これ幸いと薬を売るためのキャンペーンに使い始めた。健康寿命という言霊が、我々から日本という国の実態を隠し、推計値や概算値であらぬ方向へ国民を引っ張っていっている。なんとも奇奇怪怪な思いがする。