12月1日からみかみビルの現状回復工事が始まる事になっていたから、11月28日(土)で診療を終えた。工事にすぐに入れるように、レントゲン装置は専門の業者が解体し、他の不必要となった医療機器と共にクリニックの物は全て撤去。診療のために日常使用していた事務用品、書類、新しいクリニックでも必要な医療機器、薬品類、注射液、点滴パックその他諸々を段ボール箱に梱包して搬出した。クロネコヤマトで保管してくれるカルテとレントゲンは88箱、薬品や事務用品、医療器具や診療用具が50箱になった。それに何十冊という書籍類、椅子、机、包交車、おまけに、どこにしまってあったのか、何に使ったのかも忘れた塩酸400mlの入った瓶まで出てきて、大変なことになっていたが(これは後日、薬品類産業廃棄物専門の業者に処理をお願いした)、スタッフ全員が一丸となって頑張った。
移転の準備
9月下旬から患者さんには転居の可能性について話をし、原状回復工事の見通しがついた10月頃からはみかみビルの診療を終えて自宅で開業することを伝えていた。ホームページには日程が決まるごとに情報を載せ替えてはいるものの、高齢者はHPを見ることができないので口頭で告知するしかない。毎月きちんと定期通院してくれる患者さんは良いのだが、不定期通院だったり服薬が不規則で残薬がバラバラだったりすると、もう何もないクリニックに来てしまうという不測の事態が起きる。
それに備えて、とりあえず簡単な問診をして特に変化がなければ通常通りの処方箋が出せるように準備した。電子カルテと処方箋打ち出し用のプリンターなどは、新クリニックが出来上がる頃にそちらに持ってきてもらうように業者に預かってもらったから、手書き用の処方箋を用意した。といっても、医療機関コードや保険証番号が印刷されている訳ではなく、インターネットのpdf fileをdown loadしてA4のコピー用紙に印刷したもの。患者さんが来院したら、保険証と診察券を提示して頂き、事務スッタフがボールペンで書き入れるという、昔に帰ったような作業があり、その後に院長が診る。顔を見て問診をし、必要なら血圧を測って処方箋に「お薬手帳」に記載している内容を書き入れる。とにかく、紙カルテも電子カルテもないので、処方内容が分かる「お薬手帳」が頼りだ。今回はみかみビルの診療が終わったらすぐに電話の転送をNTTにお願いをした。今まで使っていた電話番号とFAX番号はそのまま新クリニックに引き継ぐことができたので、患者さんからの電話対応はスムーズにできた。薬がなくなった、あるいは久しぶりに来たらクリニックがなくなって驚いた患者さんは、必ず問い合わせの電話をかけてくれる。私もスタッフも、引越し作業でみかみビルからone block離れたところにある郡司ビルで仕事をしているので、電話を頂いたら日にちと時間を指定して患者さんを診にいく、ということを2週間ほど続けた。何もないクリニックに来た患者さんは、驚きながらもこちらの対応に大変感謝をしてくれた。こちらも白衣でなくてダウンジャケットを着ているのだが、医師患者関係は普段の診察と微塵の変わりもなく保たれている。これは私にとっても驚きであり、その関係がみかみビルという場で培われことに感激していた。
みかみビルの荷物は一旦トランクルームに40箱、医局にも段ボール10箱ほどを保管することにした。最近のトランクルームは24時間稼働していて、電子キーを持っていれば自分の好きな時間に出し入れが出来るので便利だ。クリニック移転の話が本格化し始めた7月に、まずは荷物を移動する場所の確保をしなければ引越しが容易ではないと認識していたので、トランクルームを探し始めた。若林には以前からライゼBOXというトランクルームがあったが、ここのところ立て続けに新規の店が出来た。インターネットで調べてみると、近くに若林IIのあることがわかった。連絡してみると、今は空きがないとのことだが、今秋には若林Ⅲが新規オープンするのでどうかとの紹介を受けた。担当者とメールで連絡を取り合いながら、11月6日の新規オープン日に無事契約を済ませることができた。このトランクルームがあったおかげで、みかみビルを期日通りに空にして、新クリニックが出来るまでの間たくさんの荷物を安全に保管することができたのだ。準備を怠りなく、物事を滞りなく進めるためには、大事なone cushionだ。
新クリニックの設計
Ollie chairを紹介した時に書いたように、狭い空間をうまく使って小さくても機能的でセンスの良いクリニックを作りたかった。まずはOllie chairを中心にして、父が書斎として使っていた旧第一医院の間取りを少し変えてみた。みかみビルに作ったクリニックのコンセプトは、高機能だがコンパクトな宇宙ステーションのようなものをイメージしていた。今回は、そのクリニックの1/5という極小のスペースなので、空間処理がかなり難しい。当初は簡単にリフォームすれば良いかと考えていたが、設計図を見てレイアウトを考えているうちにどんどんとイメージが膨らんで、予算も倍増してしまった。
診察室を少し拡げて、待合室も玄関ポーチを削って広くした。今までの旧第一医院は靴を脱いでスリッパに履き替える昔の診療所スタイルだったが、今回は土足にして床も下げて天井高を高くした。
また、直線でなく曲線を上手く取り入れることで、狭い待合室でも周囲の空間がゆったりと感じるように工夫した。高くなった天井に間接照明をきれいに当てるためにアーチ型の天井を作った。写真を見ていただけば分かるように、ちょっと美術館的な上品なものになったように思う。
事務スタッフが働くところは、女性が心地よくいられるように明るい色で統一した。みかみビルでは一人ひとりにロッカーがあり、休憩のためのスペースも確保できたが、新クリニックではそれが出来ない。しかし、自宅の一階には95歳の母親が一人で生活しているので、若いスタッフが母のリビングで一緒にお茶を飲んで話をしてくれればと考えている。それも含めて神津内科クリニックという訳だ。
診察室
診察室は清潔と機能を重視して、一部屋に心電計も超音波エコーもコンパクトに収納する家具を探して来た。そのために、千葉の幕張でおこなわれた「家具フェア」に行き、そこで見つけたgood fitの家具を、今度は島忠ホームズに行って買い求めた。今までは診察室の器具入れ、処置室の薬品棚や備え付けの多くの引き出しにしまっていた、薬品や採血管などを限られたスペースに入れ分けなければならない。診察机には電子カルテ、紹介状や行政関係の書類の控えなどに使うインターネット接続されたPC、東急セキュリティのCCDカメラ用PCなど、重要機器が並ぶ。ここでも、以前使っていた診察机にあった引き出しがないので、本当に日常使いするgoodsだけがselectされて置かれている。
診察のための患者さんが座る椅子は、今回油圧電動式のタカラベルモントの椅子型診察台を選んだ。みかみビルでは当時最先端のタカラベルモントの油圧電動式の診察台を大学病院よりも早く取り入れて使っていた。電動で座位からflatな仰臥位へ、仰臥位から座位までほぼ自動的に患者さんを乗せたまま体位変換が出来た。起き上がるのが大変な高齢者や身障者には大変なメリットがあるし、医師や看護師のほうも患者さんを起こすのに腰を痛める心配がないので、安心して診察ができる。今回のCrex(クレックス)は、それに加えて診察台自体を動かすことができる。大きさは以前のものの1/3ほどでコンパクトだから、限られたスペースの新クリニックの診察室にはピッタリだ。
幸福の黄色いクリニック
「幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ」という映画があった。1977年(昭和52年)10月1日に公開された、山田洋次監督による日本映画だ。1971年に『ニューヨーク・ポスト』紙に掲載されたピート・ハミルのコラム『Going Home』をベースに、北海道を舞台に撮影された日本のロードムービーの代表作。高倉健、倍賞千恵子といったベテラン俳優から、映画初出演となる武田鉄矢、その共演に桃井かおり、さらには脇役に渥美清を据えるなど、豪華な布陣で臨んだ同作品は、俳優陣の演技はもちろんのこと、シンプルながら観衆の心情に深く訴えかけるストーリーが高い評価を得た。第1回日本アカデミー賞や第51回キネマ旬報賞、第32回毎日映画コンクール、第20回ブルーリボン賞や第2回報知映画賞など、国内における同年の映画賞を総ナメにしている。後にキャスティングを変え、テレビドラマ化や日本国外でも映画化された。
みかみビルでの診療が終わる頃に、患者さんから「新しいクリニックはどんな風ですか?」聞かれることが多くなった。そこで私は、「クリニックを黄色く塗りました。すぐわかりますよ、遠くからでも。幸せの黄色いクリニックですから」と答えた。
皆さんが今年も来年も幸せでありますように。
明けましておめでとうございます☺️。
〈資料〉
- 1) 椅子型診察台Crex:
- https://bit.ly/38nH3AF
- 2)「幸福の黄色いハンカチ」:
- https://bit.ly/3mHoj3Y