ドクター転職ショートストーリー

家族と共に新天地で!(下)

2007年08月01日 コンサルタントO

 後日、先生よりご連絡を戴いた。提案した病院で『面接を設定して頂けませんでしょうか』との事であった。早速、病院側に連絡をとった。勤務先を先に決めるのか、自宅を先に決めるのか、先生も迷ってらっしゃるようで、あせりも感じられた。何度も遠方からご足労をいただくのも申し訳ない為、私としても敏速な対応と明確な提案が要求される。『新天地で勤務、生活をする事を家族も楽しみにしており、不安はございません』とも書き添えてあった。

 当日、空港でお迎えし、面接に向かった。T病院の規模にはさすがに先生自身も驚かれた。また、理事、院長、人事部長の面接を受けられている時より、PETや最先端医療機器を見ていた時のほうが、先生の目の輝きは一段とちがっていた。T病院の面接も無事に終え、帰路、車の中で本日の感想をお聞きした。『やはり、放射線科の専門医である以上、PETの読影はやりたい。』これで先生の結論は出た。最初のT病院で2週間後に理事長との最終面接を受けられ、年棒は当直なし、土日、祝祭日は休みでご希望額より、200万円アップの1200万円で入職が決定した。
 前職の公立病院での給与より、年収ベースで約100万円のアップであり、報告させてもらった時の本当に満足いただけた笑顔が、今でも印象に残っている。

 先生が、関西から実家の九州の離島へ帰郷された時、この地で人生を終える覚悟であったのであろう。そして、お子様が成長され、教育の事、将来の事を考え、転職を決意されるに至るまでには、相当悩まれた事は想像できた。私は、勤務先を提案するにあたって、まず第一に勤務地域が限定されていた事、第二に放射線科医としてスキルを生かせ、検査機器が充実している事、第三に卒業された大学とのパイプは九州にはないため、新天地での労働環境を良くする事に絞り、病院検索を行った。
 そして先生からも、『自分の縁故等で病院を決める事は大変厳しいので、全てをお任せします。』と言われた時には、私自身プレッシャーよりコンサルタントとしてのやりがいを感じた。
 『一人の医者として、家族の為にも老骨に鞭打って頑張るつもりです。』とお電話をいた頂いた時には、熱く感じるものがあった。O先生の新天地でのご活躍を心より、お祈りしております。

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