僻地への挑戦(上)
2009年1月15日 コンサルタントN
私が出会ったとき、W先生は66歳だった。東海地方の国立大学を卒業後、循環器内科医として定年まで大学病院に勤務し、その後、診療所の院長として働かれていた。
医療に携わって40年。これまで勤務してきたのはドクターの人数も看護師の人数も比較的充足している病院がほとんどで、症例数も多く、高度な医療を体得できた。事実、W先生の経歴は見れば見るほど素晴らしく、循環器専門医や内科認定医の取得のみならず、学会評議員まで経験されている。
私生活では子どもさんたちも独立して、それぞれ頑張っているとのことで、W先生は「残された人生をドクターが足りなくて困っているところで役に立てたい」と力強い言葉で希望を語られた。
私はW先生の医療に対する熱い思いを十分確認し、「絶対に満足していただける医療機関をご紹介致します」と伝え、その場を後にした。
しかし、W先生の条件に添える医療機関を探したが、思うように見つからない。W先生のようなご経歴であっても医療機関が見つからないのは「病院側がW先生の年齢を懸念している」ということに気づくまで3日を要した。
そしてW先生に経過報告をするために、夜遅くであったが、ご自宅に電話を掛けた。
「すみません…。ご自宅から通勤可能な距離の病院には全て連絡を致しましたが、年齢的に厳しいとの返事を受けている状況です…。」
W先生は「N君、私は現在の住居を手放す覚悟も出来ている。だから通勤のことは気にしないでいいから。地方の僻地でもいいよ」とおっしゃった。
その言葉を聞いて、私は少し気が楽になり、他の案件で知悉していたA病院のことを思い浮かべた。
A病院は四国にあり、海と山に挟まれた立地で自然環境は申し分がない。現在、内科医を募集しているが、なかなか見つからない状態である。
事務長からは「来年以降の大学病院からの派遣も厳しい状況で、このままだと内科診療を閉鎖しないといけないかもしれない」と聞いた。
W先生に説明すると、「施設見学も兼ねて面接に行きたい」とおっしゃったので、先生との電話が終わるやいなや、病院へ連絡を入れた。その結果、すぐに面接の日程が決まり、A病院から往復の飛行機の手配までしていただいた。
当日は、空港まで事務長が車で迎えに来てくださった。面接は理事長、院長、事務長が同席して穏やかに始まった。院長はW先生の経歴を見ながら「僻地での勤務をなぜ希望されるのですか」と尋ねられた。その経歴からすれば当然の質問であろう。A先生は「実は、出身がA県Y村なのです…。昔は医師がいなくて、市街地まで行かないと診てもらえないところで育ちました。医師になってからずっと、医師生活の最後は私の故郷と同じように困っているところで役に立ちたいと思っておりました」と答え、院長もその言葉に深く頷いた。
面接後の施設見学を看護師長にお願いし、私は応接室に残った。理事長、院長、事務長に面接でのW先生の印象を聞くと、お三方とも口をそろえて「是非、入職してもらいたい」と言われた。
条件面については「理事会で承認を得た上で連絡する」と言っていただき、W先生と帰路に着いた。