外科医であり続ける事(下)
2009年8月1日 コンサルタントM
A病院側からの依頼で、思わぬ案件が飛び出してきたわけだが、K先生、A病院の理事長ともに思いは切実で、且つ緊急を要するものとなった。早速、外科の求人を拾ってみるものの、心臓血管外科ではとうてい難しい年齢である。ペースメーカー移植術程度が限界か、それとも広く浅く一般外科かと逡巡する。
K先生が最終的におっしゃったのは「今よりメスを握る機会が増えればいい」、「当直はさすがに勘弁してほしい」、という条件が満たされていれば、救急の対応も可能であるし、現状より収入が下がっても構わないので、翌月からでも勤務する意志があるということであった。
現在の勤務へのご不満がそこまで強かったのかと再認識した。そして病院側にも確認を取ってみたところ、翌月の退職でも構わないとの返答があった。
両者の関係はやはりこじれていたのである。しかし、この状態はかえって好都合なので、心当たりのあるいくつかの病院に声をかけてみた。ところが、予想していたよりも年齢の壁が高く立ちはだかり、苦慮していたところ、H病院から「是非一度K先生とお会いしたい」というお申し出が会った。H病院は、旧国立病院と日赤が近くにある、ケアミックスの小規模病院である。それゆえ外科、内科を問わず活躍できる人材を求めていた。オペの症例数も決して多くはないし、難しい症例を扱っているわけでもないが、K先生より高齢の院長先生がメスを握っているという事であった。
K先生は「なかなか面白そうな病院ですね。しかし、昔の同僚からある病院に来てくれないかと誘われていて、義理もあるので、その病院の面接に行ってからで構わないですか?」とおっしゃる。ちなみに義理を果たさないといけない病院とは介護療養病床と精神科がメインであったため、少し安心した。K先生の要望とはかけ離れているので、まず成立しないであろうと高を括っていたものの、一抹の不安は残った。しかしながら、K先生の切実な思いを信じ、こちらからは何も触れずにおこうと決め、結果を待つことにした。
面接日当日、病院側は理事長と法人部長、事務局長が列席した。理事長は法人部長、事務局長との間にふた周りほどの年齢差があるようにお見受けしたが、三人の間にK先生を三顧の礼で迎えようとする雰囲気が表に出ていて、安心した。加えて理事長の出身大学がK先生と同じであるため、話題の共通点も多く、終始和やかな雰囲気で、経歴などの形式的なことの確認も終了した。そこでもやはり、高齢の院長の話題が出た。未だに夜診もオペもこなす、達者な老人らしい院長の姿に、K先生も改めて感心して「院長の替わりに、僕が全てオペをやりますから、院長には呆けない程度に頑張ってもらいましょう」と一同を笑わせていた。これを聞いてやっと確信が持てた。
面接終了後、K先生は「採用してくれるかなぁ」と少し不安そうであったが、「K先生、大丈夫です。今回は面接に来ていただいた段階で採用は決まっているわけですから、安心してください」と伝えて、その日は別れた。
面接翌日、H病院から早速、採用の連絡が入った。最終的な条件は週の勤務日数4.5日、当直勤務なしだが、K先生の希望もあり、救急は対応していただく事となった。年俸条件はA病院より200万円アップの1400万円で落ち着いた。年俸の部分も含めてK先生には非常に喜んでいただけた。
さて、K先生の転職先が早々に決まったので、A病院の理事長にK先生の次の勤務先が決まった旨を報告した。理事長は安心した様子で一言、「よく見つかりましたね」とおっしゃったうえで、「次はウチの穴埋めもスピーディにお願いしますね」とプレッシャーをかけてこられた。しかし、今回の件を冷静に検証してみると、A病院への紹介は難しいと考えた。A病院の理事長、K先生両者の言い分を聞いたことで、自分のビジネスに繋がったのは確かであるが、A病院側には誠意や正義がないと感じた。詳細の記述はこの場では避けたいと思う。
今回のケースで何よりも嬉しかったことは、外科医であり続けたいと切に願う老齢のK先生と出会え、且つ最後のキャリアを外科医で終えるためのお手伝いが出来たことである。
今後も高齢医師の転職のお手伝いをすることも多々出てくるであろう。そのときには、老健の施設長などの勤務を安易に勧めるよりも、「もう一度、現場で先生のご経験を伝えてみてはいかがでしょう?」と申し上げ、医師としてのキャリアを呼び起こすような提案が出来ればと思う。
完