本当の理由(下)
2009年9月1日 コンサルタントK
1週間後にM先生から連絡があり、ある程度、ご自分でK病院のことを調べられたが、さらに内部情報などを知りたいということだった。やはり高齢になってからの転職ともなると、何度も勤務先を変更することはできない。慎重になるのは当然のことであろう。私は勤務に関する諸条件やそのほかの情報を伝え、M先生に提案した。
「一度面接を兼ねて、現場の見学に行ってみませんか?現場でしか分からないことが必ずあるはずです。」
外部からの情報をいくら仕入れたとしても分からないことは多い。直接、理事長や院長の話を聞き、K病院の雰囲気を肌で感じるのが一番であると思ったからだ。
しかしM先生は見学のことには触れず、不安を口にされた。現在、外来の診察件数がかなり減少しているので、K病院で外来を診るにあたって、腕が落ちていないだろうかということ、現在の勤務先を無事に退職できるのかということ、退職できたとしても、そのタイミングをどうすべきかということなど、正直に話してくださった。
私もM先生の気持ちが理解できた。若いときであれば、1、2年のブランクがあったとしても、半年あれば、感覚を取り戻すことができるだろう。しかし、年齢を重ねるにつれて、そういった適応能力は次第に落ちていく。M先生の気持ちを汲み取るように、私は先生の話にじっくりと耳を傾けた。
ところが、話を聞いていくうちに、先生が抱えておられる本当の不安が分かった。「ブランクがあるから、歳だから」というのは表向きであり、対人関係や勤務する病院の信頼性こそが本当の不安の要因だったのだ。以前、「院内の雰囲気の良い、安定した医療機関を…」と仰っていたことも思い出された。「年下の院長と上手くやっていくことができるのだろうか、今まで転職を何度かしてきたが、本当に信頼できる病院なのだろうか」という不安がM先生の意志決定に歯止めをかけていた。
M先生は若いときに勤務していた病院で苦い経験をされたことがあり、それがトラウマのようになっていたようだ。私は本当の理由が分かったうえで、それでもK病院をM先生に勧めた。私の知るところ、K病院の歴史は長く、再建中ではあるが、経営は安定している。また、人材の育成に力を入れ、「人」を大切にしている。スタッフを大切にしている病院であるからこそ、長い間、地域の患者様に信頼され、安定した経営を行うことができているのだ。理事長が以前、私に真剣な眼差しで、「医療は人です。人が医療の現場を支え、患者様の心と体の健康を保つのです。人がいなくては医療は成り立たないのです」とおっしゃったときに、私は思わず目頭が熱くなり、鳥肌の立つような気持ちになったことも思い出した。
M先生には、私が感じたありのままを伝え、K病院との面接を勧めた。私に心を開いてくださったのか、理事長の言葉が心を動かしたのか、それは定かではないが、M先生は面接を快諾してくださった。
面接当日、M先生は非常に緊張されていることが一緒にいる私にも伝わってきた。その緊張をほぐすかのような、スタッフの温かい対応があり、一瞬ではあるが、先生の強張った表情が緩んだように思えた。
理事長と院長はスタッフ同様にM先生を温かく迎え入れてくださり、面接が始まった。面接という雰囲気を感じさせないうちに、時間はいつの間にか過ぎて、病院側の2人とM先生はすっかり意気投合していた。
翌日、勤務が終わる時間を見計らって、M先生へ電話をすると、「良い理事長と院長先生だった。K病院なら、やっていけそうな気がする」とおっしゃった。M先生の不安も安心へと変わったようだ。K病院からの条件は「週4.5日、当直なし、年俸1,800万円」で、M先生の希望よりも100万円プラスの金額を提示いただいた。
高齢者の多い病院であるため、総合診療に携わってこられたM先生は適任だったようで、K病院からも「是非、ご着任いただきたい」という言葉をいただいた。それから数日して、M先生は勤務中の病院へきちんと事情を説明したうえで、退職願いを提出された。退職から入職への運びは円満、かつ順調に進み、無事に入職が済んだ。
私はM先生の転職で何をしたのだろうか。ただM先生の話を聞くことに徹したにすぎない。しかし、徹底して聞くことで、M先生の本当の不安を理解し、何を望んでおられるのかが分かった。それが先生の背中を押すことにつながったのだ。今後も先生方の話をよく聞くことで、先生方が転職にあたって、何が不安で、何を求めておられるのかを十分に理解し、質の高いコンサルティングを行っていきたいと改めて思った。
完