ドクター転職ショートストーリー

些細な気付き(下)

2011年9月1日 コンサルタントS

面接当日、約束の時間になる前にK先生が車で現れた。「K先生、やっぱり電車よりお車の方が早いですか?」と伺ったところ、「20分かかりませんでしたよ。この辺は地元だから道路もよく知っています」と普段より快活に話された。元々車での通勤に慣れているK先生なので、車で十数分の通勤は大きなメリットになる。通勤時間の短縮で往復2時間以上の時間が作れることは、ご家族にとっても喜ばしいことだろう。午後5時まで勤務しても6時前には自宅に着く。今までの生活では考えられないことだ。

院内に入ると、K先生と私は広い応接室に通された。しばらくして事務長と院長が入って来られ、面接が始まった。気さくな院長はK先生に自己紹介を始めた。「私もK先生と同じ大学の○○期生です。循環器で、C教授の下で学びました」K先生の表情がにわかに緩んだ。院長は続ける。「K先生、うちのようなケアミックスの病院ではなく、まだまだ現役として臨床の場で働けるのではないですか?」無口なK先生が流暢に答えた。「まだ現役で働くことはできるかもしれません。でも、若い先生にポジションを空けてあげないといけないし、今は地域医療、高齢者への医療を通じて社会貢献がしたいのです。医師として最後のご奉公です」K先生の素直で熱い思いは院長に伝わったように感じられた。

その後、すぐに院長とK先生の同窓会が始まった。在学当時の話や、同窓生、C教授の話ですっかり盛り上がり、話が尽きる事はなかった。「学食か、懐かしいなあ。カツ丼、ボリュームありましたね。当時には珍しくフレンチもあったなあ」と院長。「私は日替わり定食でした」とK先生。ご年配の方々がそれぞれ学生時代の思い出に耽る様子に私も安堵した。ひとしきり盛り上がったところで、院長が話の流れを変えた。「そもそもこのB病院は我々の大学の系列病院です。循環器の医師で構成され、今までは多数の諸先輩方にも勤務頂いていました。ところが新医師臨床研修制度が導入されてから、他の大学からの先生が入職され、同窓生は大学に引き上げられました。今では大学の伝統を引き継いでいるのは私だけなのです」院長はK先生を後任として、かけがえのない存在と判断されたようであり、K先生は不思議な縁を感じられた様子であった。肝心な入職条件の話は簡単に説明されただけで、あっという間に2時間が過ぎた。しかし、このコミュニケーションの中で、お互い一緒に仕事をやっていけるという確信が生まれていた。院長で終わるはずだった伝統という名のたすきが、院長からK先生に引き継がれる姿が思い浮かばれた。

翌朝一番、事務長から「是非、K先生に来て頂きたい」との連絡があり、私は喜び勇んで、B病院の意向をK先生にお伝えした。K先生からも「よろしくお願いします」と即答を頂いた。K先生にとっては入職の条件よりも、ご勤務にあたる上での大事なものを感じていたのだろう。大学への愛校心、伝統と先輩を尊重する忠誠心、これからの人生を地域医療に捧げたいという貢献心、それらが転職の決め手となったのだろう。しかし、相互の合意を頂いても、肝心な条件面の詰めはこれからだ。入職前に、事務長と何度も交渉を重ねた。勤務時間、外来のコマ数、病棟管理の患者数と当直の有無、休暇は土・日・祝日と週1日の研究日、加入保険制度や学会出席の許可と費用負担の確認、昼食は検食となること、K先生が持ち込む荷物の搬入条件、雇用契約書の細部の確認等々、改めて詳細な打ち合わせを行った。

K先生の入職条件が確定した。週に4.5日、病棟管理中心の勤務だ。先生には個室と院内の駐車場が用意され、年俸は現状を上回る1,600万円。この条件にはK先生も十分満足して頂けたようだった。交渉後、K先生と事務長と共に医局へ向かい、数名の現職医師と挨拶を交わす。医局の奥に個室があり、机は2台用意され、書庫の収納量も申し分なかった。その後、院内をまわり、看護師長、事務スタッフと挨拶を交わした。B病院側の歓迎ぶりが私にまで伝わってきた。K先生はいささか申し訳なさそうな顔をしていたが、帰り際は、「自転車でも通えます」と笑いながら話された。この時、K先生と出会ってから4ヶ月が経っていた。

退職の為の引継ぎに時間を取られ、当初の予定よりも遅くなったが、K先生は医師として最後の勤務場所を選ばれ、地元の地域密着医療に従事されている。
今回K先生の望む転職先を紹介できたきっかけは、ほんの些細な「気付き」であった。この「気付き」を今後のコンサルティングにも活かし、励んでいきたい。

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