予期せぬ事(下)
2011年11月1日 コンサルタントS
面接当日、朝のカンファレンスから参加され、院内の見学が済んだ後、他の先生方と一緒にお昼をとられ、その後病棟で実際に患者さんを診て回った。その日の夕方、理事長が同席され、ようやく面接が始まった。A病院からは、「書面で頂いておりましたが、実際にお会いしても、素晴らしい先生ですね。是非ともご入職頂きたい」と太鼓判を押された。K先生も、「人員、構成、体制、設備どれをとっても、今の勤務先を圧倒しています。想像していた以上であり、正直驚いています」と笑顔で話されていた。無事に面接も終了し、その後は食事会が予定されていた。名目上は懇親会となってはいたが、実際には入職祝いのような雰囲気であった。
K先生の雇用条件の調整は順調に進み、最終的には年俸1,100万円(当直月2回)となり、契約書捺印も年内には終了。入職日は4月1日で決定した。その後、入居先を確認するため、ご家族で見学に行かれ、A病院の周りの環境とお子様の保育所も見て回られた。何もかも順調に進んでいたが、誰も予想していなかった東北地方太平洋沖地震が3月11日14時46分に発生する。
A病院とは、震災直後から連絡が完全に途絶えてしまい、K先生から状況の確認を依頼されるものの現地の情報が全くつかめず、メディアからの情報にしか頼る手段が無かった。それから担当者と連絡が取れたのは1週間後であり、現場は想像を絶する状況であり、K先生の入職については、後回しの状況になっていた。
引越しについても、3月下旬の日程で引越業者に手配済みであったが、高速道路は寸断され、引越と搬入は不透明な状況となっていた。私はK先生の今の気持ちを確認した上で、延期の提案をしようと考え連絡を入れた。K先生は「現在の勤務先は、既に有給消化に入っています。それに現地は医師が全く足りていない。もう行くしかないですよ」と、気持はすでに固まっていた。
結果的には3月末日に、最低限の荷物を持って、半ば強引に単身で移動された。31日には入職の手続きを済まされ、翌4月1日より勤務を開始された。それは震災からわずか20日後のことだった。その後、復旧作業が続く中、私は新幹線の開通と同時に、K先生の元を訪れた。「入職して2週間ほど経過しましたが、何とか普通の生活が出来るようになってきましたよ。電気と水道が復旧したのは本当に有り難いですね。身内や自宅に被害を受けられた方々に比べれば、自分はその分だけでも幸せですね」と話されていた。「契約書の締結が昨年ではなく数ヶ月遅かったら、ここには来られなかったかもしれませんね」と笑いながら話された。 「6月には家族を呼ぼうと考えていますが、それまでは仕事だけに集中しようと思っています。被災地に貢献できればと思って毎日頑張っていますよ」と聞いたとき、私はK先生の転職にかかわれた事を誇りに思った。
完