医師としての人生(上)
2015年07月15日 コンサルタントK
A先生との相談の始まりは、2014年9月でした。先生はクリニックを開業している開業医であり、地域住民の家庭医的存在として、長く診療に携わってこられました。
先生は、ずいぶん古くから弊社にご登録頂いており、何人ものコンサルタントとのやり取りをされていました。
60代半ばを迎え、先生はある事を考えられ、弊社に一本の電話を頂きました。
「実は、クリニックを閉院し離島や僻地の医療に携わりたいのだが、この歳でも可能かな」との内容でした。
先生曰く、医師不足で悩む僻地や離島で、地域住民の為に、医療の提供を行いたいとの内容でした。
私は先生に「可能と思いますが、現存するクリニックを廃業する事が出来るのですか?」と聞きました。
先生は、以前から考えていた事なので、閉院に向けた話し合い、自院の継承など幾つかの方法を模索していたとの事でした。
身体が元気なうちは、医者として最後の奉仕をしたいと考えられていたとのことでした。
私は先生の想いを成功させる為、先生の転職のお手伝いをする事になりました。
先生は、非常に若々しくアグレッシブなタイプで、明朗快活な方で、人当たりも良く、子供からお年寄りまで、柔軟に対応する方だと感じました。
先ずは、先生の希望を聞くことに致しました。
僻地や離島と言っても、北は北海道から南は沖縄まで、何処でも良いわけではないと思い、どの辺りで考えられているかお聞きすることにした。
先生は、「何処でも」と一言の返事を頂き、続け様に「どちらかと言えば暖かい地域が良いかな」とお答えになられました。
先生は、中国地方生まれで地元を離れ生活した事はほとんど無い様だったので、九州や沖縄などでも問題無いのか質問しました。
先生から頂いた答えは
「自分を求めてくれる先が在れば、何処へでも行くよ」
とのことで、場所については、案件を見ながら検討して頂く事とし、その他の条件を確認する事にしました。
希望としては週4.5~5日勤務、無床の診療所などで、老健や施設などの往診や訪問診療が含まれても良いというもので、年俸にはこだわらないが、奥様と二人、老後の生活が過ごせれば良いとの内容を頂いた。
勤務先が見つかった場合、先ずは単身で行く事になると思うが、落ち着いたら奥様もご一緒に移り住むとの事でした。
先生には、多少時間を頂きたい旨を伝えた。
なぜならば地域も広範囲となる為、情報収集に時間が掛かると判断したからでした。
先生には、閉院にむけた段取りと閉院時期を明確にして欲しいと伝え、その日の相談を終了致しました。
次の日、早速、先生の希望を踏まえた先があるのか調べてみたところ、幾つかの候補が見つかり、各医療機関へ問い合わせの連絡を入れました。
各医療機関とも反応は上々で、先生の匿名のプロフィールを欲しいとのオファーを頂きました。
提案しようとした先は、沖縄や奄美大島、熊本の山間部の医療機関です。
条件的には、さほど大きな乖離はなく、どの医療機関でも先生の希望に近いのでは無いかと思われたので、先生に幾つかの候補がある事を伝え内容を見てもらう事にしました。
先生に電話を入れ、面談の約束を取り付け、診療が終わる18:30にクリニックへお伺いする事にしました。
クリニックは、自宅兼となっており、築20年ほどは経過していても、院内もきれいに整理整頓され、清潔感のあるクリニックでした。
電話で話した感触と同様で、快活な方だが穏やかな一面もあり好感の持てる先生だった。
クリニックは無床の診療所で先生からご提示頂いた条件とよく似ていました。
ご紹介した勤務内容は、日数は週4.5~5日、関連の老健などへの往診をお願いしたいとの内容でした。
先生から全ての先を見学してみたいとのご意向を受け、各医療機関との調整をすることになりました。
先生は、長年の夢や想いを語り始め、医者になろうと思われた経緯や研修医時代の思い出、開業されてからの苦労など、先生の人となりや人生を伺うことができ、医師として人生を全うする事が出来る先を是非提案したいと思いました。