医師の前に父親である・・(上)
2006年07月15日 コンサルタントA
A先生は、40代前半の九州地方の某国立大学出身の神経内科医である。先生は9年前に当時の大学教授と反りが合わずに医局を離れられた。大学の医局人事の影響が強い為、九州地方で勤務する事を断念し、結局友人の紹介で関西地方の公的病院に勤務された。
その公的病院に赴任する際に、見知らぬ土地での生活は家族の負担が大きすぎる為に単身赴任を選ばれ、それから月に一度の自宅と赴任地との往復生活が始まったのである。
今の内科部長で1,500万という待遇には満足していたが、家族の残る九州を離れ9年の歳月が既に過ぎ、お子様も多感な中学生になったこともあり、単身生活を続けることに不安を持つようになった。そこで、何をさしおいても家族が一つの屋根の下で生活をする事を大前提に、地元である九州へUターンする事を決心されたのである。
転職にあたり、A先生は九州地方の基幹病院であれば、年俸や条件面には一切こだわらないとの事であった。
早速、九州では急性期で有名なT病院を提案させて頂いた。T病院は、循環器で非常に有名な病院で、とにかく内科を中心とした医療の充実に積極的になっており、3年前までは医局からの派遣でしか先生を雇用した事がなかったが、研修制度が変更された以降は公募での医師採用も積極的に行われているところである。先生も、当然に出身地である九州で有名なT病院は良くご存知で、T病院に求人があるのなら是非とも面接をお願いしたいとのお返事だった。
面接では、病院側は理事長と副院長が対応された。皆同じ出身大学であり、理事長より「あの教授をされていた先生は、良く知っている。過去にも、先生に似た話しを聞いた事もありますよ。急に医局を飛び出された気持ちは理解できます。」と、過去に先生が医局を飛び出された事にも理解のある有り難いお言葉まで頂けた。年棒も1,600万と、現状より100万アップの好条件で提示され、更に引越しに伴う費用も全てT病院で負担頂けるとの事で、「何も迷う事はありません。」と、先生はすぐにお返事をされた。今回は、全ての話がこの場でまとまる珍しいケースかと思った。