外科医として活きる(上)
2008年11月15日 コンサルタントM
今回ご紹介するT先生は都内の私立大学出身の41歳である。主に関節を得意とする整形外科医として経験を積んできた。
T先生は医師の家系ではなく、一般の家庭に育った。妹さんが先天性の股関節脱臼で産まれ、思うように運動ができない姿を見て、「何とかして治してあげたい」と幼心に思ったことが医師を志したきっかけとなり、熱い思いを抱いてきたという。そして幼少の頃から勉学に励み、見事医学部に入学する。入学後も勉強に励み、未知の領域など幅広い知識を習得することで、いつしか内科学への興味が深まっていった。
しかし、出身大学での初期研修中に医師人生を大きく方向転換させる人物との出会いがあった。その人物は最先端の治療法を駆使した外科手術をこなす医師としての技量は勿論のこと、志も高く、努力を惜しまない、正に尊敬に値する人物であった。T先生は後に恩師となるその先生から、医業に対するしっかりとした考え方や医療経済学的な視点など、あらゆる点で強烈な衝撃と影響を受けたという。今まで考えもしなかった領域を知り、医学や医療への視野が何倍にも広がった。
T先生は内科からの転科を考え、迷う日々を送る。
同期や先輩に相談をしたものの考えが定まらず、更に悩みを深めてしまった。悩む期間は長かったが、最終的には初心に戻り、なぜ医師を志したのかという原点に返って、考え直してみることにした。そして幼少の頃からの「妹の股関節脱臼を治したい」という思いから、「整形外科に転科することが自分の使命である」と気付き、意思を固める。
そこでT先生は「整形外科医としてこのまま大学に残っていても多くの手術をさせてもらう機会は少ないだろう」と考えた。不安な気持ちもあったが、大学医局を飛び出すことを決意し、より症例経験の積める病院へと移った。
しばらくは勤務と勉強に追われる辛い日々が続いたが、ある程度の症例をこなせるまでになった。知識や手技の習得も自信となり、執刀医としての手術症例数も伸ばし、さらに整形外科医としてのプライドも持って、忙しい日々を送った。それはまた、充実した日々でもあった。
ところが、家庭の事情で転居を余儀なくされ、四国の病院へと転職することとなった。その病院での勤務は、今までのような充実感を味わうこととはほど遠く、やりがいも感じることができないままフラストレーションが溜まる日々が続いた。T先生は病院の規模や医療環境などが起因する医療に対する考え方の相違など、数多くの壁に直面し、悔しい思いをした。
そういった思いを解消すべく、T先生は数多くの医療関連誌の購読やインターネットのサイトの検索などを始め、自分の技術を存分に生かせる病院を探し始めた。そのような日々がしばらく続いたある日、インターネットの医師転職サイトをきっかけに、コンサルタントの私と出会うことになったのである。